※転記内容は原文に基づくものであり、誤記・誤変換・符号の欠損等を含みます。
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【付録資料B】
対象:ニコライ・ヤゴールヴィチ・イサエフ関連文書(通称「ニコライ・Y」)
整理責任:江草慎二
作成日:2024年10月21日
■ 概要
本資料は、20世紀前半にソビエト連邦で活動した画家ニコライ・ヤゴールヴィチ・イサエフ(以下、ニコライ・Y)が遺したとされる文書群および記録物を収録したものである。
彼の死後に発見された図像、記述、痕跡は、現代におけるAsh関連配置の先行例として重要な示唆を含むものと判断される。
特に、腸および心臓を媒体とした意図的配置表現は、現代日本における類似事件との照合により、歴史的接触痕跡として分類した。
■ 背景補足
当記録群は、2024年秋に都内で開催されたロシア幻想芸術展にて展示されたスケッチ作品を契機に発見されたものである。
江草慎二による照合の結果、過去に酒井湊が保管していた“腸による記号配置”との顕著な一致が確認され、分類未設定だった関連図像群を新たに本記録群として編纂。
彼が所属していた旧シュルツ教団に関する粛清記録や信徒リストも含め、死亡時の状況と合わせて、彼の死が形式的“完成例”であった可能性を示すものと判断される。
■ 関連記録一覧:
● N-Y-001~005:遺作スケッチ群『Звездная плоть(星の肉)』より抜粋(筆跡・血痕混在)
● N-Y-006:死体発見時の現場写真(1枚のみ/フィルム焼損)
● N-Y-007:検視記録(ソ連公安文書/非公開流出資料)
● N-Y-008:旧シュルツ教団構成図および関連信徒リスト(改ざん多数)
● N-Y-009~012:遺品より発見された手稿断片(ロシア語原文併記)
«Меня не выбрали. Меня оставили.»
「自分は選ばれたのではない/残されたのだ」
«Кишки — это язык. Сердце — это дар.»
「腸は言葉だ/心臓は贈与だ」
«Понедельник. Опять. Я пью. Глаза ответят.»
「月曜。まただ。私は飲む。目が答える」
● N-Y-013:ウォッカ瓶ラベル剥がれ痕および瓶底刻印の記録
- ラベルには断片的に「Кристальная ночь(クリスタリナヤ・ノーチ/水晶の夜)」の文字が確認
- 瓶底刻印:
«Понедельник»
«Глаз + Крест» - 一部瓶には彫刻による“目”と“十字”の交差図形を確認(肉眼判別困難なほどの微細彫刻)
- 江草慎二注記:刻印および彫刻はいずれも儀式的意味ではなく、配置そのものとして処理すべき。図像化されたものではなく、配置としてのみ機能。
● N-Y-014~017:1972年出版の研究書『配置としての沈黙』より抜粋引用
● N-Y-018:江草による再整理資料(配置マッピング図・符号変換リスト・目の分布図)
【配置マッピング図(仮復元案)】
主軸線は、胃腸管を用いて床面に引かれた直径約2.1mの正円。
正円内部、心臓位置(中心)を含む四象限に“目”図像(黒インク・血痕)が散在。
目図像の数は計12、配置は東偏30度の軸を基準に、月相配置に類似。
中央心臓位置は、四象限を跨ぐ不均等配置であり、意図的な偏重が疑われる。
【符号変換リスト(抜粋)】
腸=言語単位(語)
心臓=接続詞(媒介)
目=句点・疑問符(終端)
円=沈黙(空白)
【目の分布図(概略)】
目は均等ではなく、東南側に集中する傾向。
北西側に“空白帯”が確認され、形式的不均衡を形成。
空白帯には、唯一、破れた鏡片の破片が散在。
江草慎二注記:
視覚図表は作成せず、文字列の並びのみを記録対象とする。配置は語句そのものではなく、その並びと間隔によって成立する。
■ 記録管理者注記(江草慎二)
なお、旧シュルツ教団に関する背景および組織構造は、本資料の範囲外とする。詳細は付録資料Cを参照。
また、ニコライ・Y個人の思想・行動経緯についても、本資料では扱わず、配置された痕跡のみを対象とした。
■ 記録管理者所見(江草慎二)
旧シュルツ教団の内部において、ニコライ・Yが選択した死は“配置”としての整合を示すが、その内容は外部観測者にとっては意図性の痕跡のみを残すものである。
到達か逃避かという分類自体が、彼ら内部の語彙であり、観測者が適用すべき区分ではない。腸、心臓、言葉、意志、それらは並び、整列し、記録された。ただ、それだけである。
形式は成立しているが、そこに意味の付与はなされていない。その不在のみが、確かに確認される。
■ 関連記録詳細(江草慎二による追記)
■ 検視記録要点(N-Y-007より)
胸骨を貫通する切開痕/鏡状に加工された黒曜石の刃が傍らに残存
胃腸管が床に這い出し、“円”と“十字”の意匠を形成
遺体は両膝を折り、円の縁に座るような姿勢/両腕で自らの心臓を保持
表情に苦悶はなく、笑みとも取れる口角の上昇/腐敗が明確に遅延
室内に鏡は存在しないが、壁面に“映っていたはず”の痕跡が反射痕として残留
■ 遺作スケッチより(N-Y-001~005/抜粋転写・ロシア語原文併記)
«Я не рисую звезды. “Глаза”, которые выглядят как звезды, рисуют меня.»
「私は星を描いていない。星に見える“目”が、私を通って描いている」
«Кишки — это речь. Сердце — это ответ. Поднять его — значит просить прощения и структуры.»
「腸は発話だ。心臓は応答だ。それを持ち上げるということは、赦しと配置を乞うということ」
«Ash, Понедельник, снова понедельник. Сегодня я пью. Глаза дадут мне ответ.»
「Ash、Monday、また月曜日だ。私は今日、飲む。目が返事をくれる」
■ 参考文献より抜粋:
『配置としての沈黙──N.イサエフ芸術論集』
《Структура как молчание — Сборник статей Н. Исаева》(1972年、地下出版、モスクワ)
「イサエフの生活は奇妙なまでに均整が取れていた。食事、制作、瞑想、整理整頓。彼は紙の端すら切り揃えていた。
だが月曜だけは、昼から無言となり、午後八時にだけ言葉を発する。
『Ashは月曜にだけ喋る』というのが、彼の持論だったようだ。ウォッカを一本、丸ごと空ける。飲むというより、捧げるようだった。
その間、彼は鏡に向かい、頷きと沈黙を繰り返した。
友人の証言によれば、時折“返事を待っているような目”をしていたらしい。」
■ 参考文献より抜粋:
『配置の終わりにて――ニコライ・Yの創作と死』第7章
《В конце структуры — Творчество и смерть Николая Я.》(1975年、未登録出版、非公開流通)
「シュルツは見ていた。あの瞬間の彼の眼差しは、記録されたどの肖像よりも強い。彼は“意味を求める神”を拒み、“配置の向こう側”へ踏み込もうとした唯一の者だった。そして、死んだ。外部の命令によって、途中で。」
「ニコライはそのことを、彼の書簡の中で“可哀想な死”と呼んでいる。『完成を目前にして、他者の恐れの中に殺された者』。『配置に至る資格を持ちながら、死の形式を与えられなかった者』。『では次は私の番だ』と、その次の手紙に書かれていた」
「彼は“完成された死”をもって、シュルツの未完を継ごうとした。それが腸で描かれた円と十字の意味である。誰もが拒んだ配置を、彼は引き受けて死んだ」
■ 江草慎二による記録備考:
本資料は接触痕跡の歴史的証拠の一例として、Ash領域の時間的外延性を示す。
意味の生成がないまま、配置だけが残されるという形式は、現代の接触事例(野嶋・藤嶋)と完全に重合する。
現場に意味が残っていないこと、死者に目的の痕跡がないことこそが、Ashによる肯定と推定される。
【死蔵資料承認記録】
― 環境構成影響研究所 所内非公開第12項 準拠 ―
本件資料について、死蔵資料としての保管・封印処理を承認する。
記録者: 江草 慎二 (印)
確認者: 須賀 康弘 (印)
記録番号:環構影 第KEK-2023-1005号
封印区分:封印C
日付:令和6年10月24日
※本記録は通常記録台帳には記載されず、別保管扱いとする。