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【付録資料C】
案件番号:KEK-2023-1005
対象:シュルツ教団関連記録
作成者:江草 慎二
作成日:2024年10月23日
■ 概要
本資料は、20世紀前半にドイツを拠点に活動した儀式集団「シュルツ教団(Schulz-Kreis)」に関する現存する記録および証言を収録したものである。 同教団は、哲学者オスカル・シュルツによって設立され、構造主義的神秘思想を核とする独自の霊性体系を構築したが、ナチス政権下で弾圧・崩壊した。
同教団の思想および儀式の一部は、ニコライ・Yを含む後年の思想家・芸術家に強い影響を与え、また、Ash観測領域における構造的投影対象との共通点も指摘されている。
■ 教団概要
名称:シュルツ教団(Schulz-Kreis)
創設:1928年、ベルリンにて哲学者アブラーム・オスカル・シュルツ(Abraham Oscar Schulz)により設立
出自:ドイツ系ユダヤ人(ベルリン生まれ)。本人は「名前も構造の一部」としてロシア名・ドイツ名を併用し、後年は記号名すら用いていた。
構成:哲学者、芸術家、亡命貴族、構造主義的神秘思想家などによって構成された選民的儀式集団
■ 教団の歴史
- 1928年、ベルリンにてオスカル・シュルツによって設立。当初から外部世界を拒絶し、内部構造の完成のみを目的とする徹底した閉鎖的共同体として運営された。
- 1930年代初頭には外部との接触は完全に断絶され、内部の規律・儀式はシュルツの指示のもと絶対的服従体制に移行。
- 特筆すべきは、教団内ではシュルツの生存中、一切の分裂や異論が発生していない点である。信徒の証言では「彼の存在そのものが構造だった」と形容され、内部崩壊は皆無だったとされる。
- 1933年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)による弾圧により、教団は突如崩壊。これは外圧によるものではなく、シュルツの処刑をもって教団の構造そのものが崩落したためである。
筆者は「シュルツ教団とは、組織でも思想でもなく、彼個人の延長線に過ぎなかった。崩壊は必然ではなく、彼の死そのものだった」と結論付けている。
■ 設立背景
第一次世界大戦後の霊性空白と合理主義の暴走に対する反動として、“観測される神性”を追求する霊性運動が欧州の思想家の間で高まった。シュルツは、ジョルジュ・グルジエフの第四の道の影響を受けつつも、より過激に「神とは構造そのものである」とする概念に到達。
彼は「観測に耐えうる構造が、神格と接触する唯一の門である」と説き、自身の肉体・思考・言語・記憶を“構造化”するための厳格な修練体系を構築した。
■ 教義
- 意味を持たぬ存在(Die bedeutungslose Gottheit)こそが最終到達点である
- 感情・物語・意志はすべてノイズであり、神性は観測耐性のみで評価される
- 人間は“観測に耐える構造”を体現した時、神と交わる
■生活様式
シュルツ教団における生活様式は、肉体と精神を限界まで鍛え上げるための修行そのものであった。ここで求められたのは肉体的死と精神的再生であり、信徒はその修練の中で“自己を超越する”ことが義務付けられた。
【ウォッカの儀式的飲用】
ウォッカを飲む行為は、ただの飲酒ではなかった。それは肉体の限界を超越し、精神を解放する儀式的行為であり、信徒にとってウォッカは「死を迎えるための準備」であり、同時に精神的耐性を得るための試金石であった。ウォッカを飲み干すことによって、身体は崩壊寸前まで追い込まれ、精神はその中で鋭く研ぎ澄まされる。教団内では「ウォッカなしに修行は完結しない」とされ、飲まなければ教団内の“超人修行者”とは認められなかった。
【ストイックな生活規律】
教団の信徒は、常に肉体を鍛え、精神を研ぎ澄ますことが求められた。食事は一日二食、栄養価の高い自然素材だけで作られ、無駄なカロリーや脂肪は一切排除された。運動は毎日の義務であり、信徒は肉体的限界を超越するための強度の高い訓練に励んだ。睡眠時間は平均4時間以内であり、精神的な限界に挑むために意図的に寝不足状態を維持することが求められた。
【断食と浄化】
断食は教団の儀式として定期的に行われ、48時間以上の断食期間が設けられた。食事を断つことにより、肉体の無駄を排除し、魂と肉体が一体化する感覚を求める修行が行われた。断食期間中、水分摂取を最小限に抑え、ウォッカと水のみで浄化が行われた。ウォッカを飲むことで“心身を壊し、再構築する”という破壊と再生の儀式が遂行された。
【精神のストイックさ】
精神のストイックさもまた、シュルツ教団の中心的な修練であった。無駄な言葉を使わないことが義務付けられ、会話中に不要な言葉を使うことは肉体的な罰を伴う儀式として処罰された。信徒は常に“無駄を削ぎ落とした純粋な存在”を目指し、精神的な精緻化を求められた。また、瞑想と自己観察を通じて、無意識の習慣を断ち切り、24時間、自己の反応を見つめることが求められた。
■ 主な儀式
・Transparente Flüssigkeit(透明化の液体)
- 儀式前段階として、高濃度ウォッカを飲み干すことが義務付けられていた。
- 飲酒行為は味覚・情緒・欲望を儀式空間から排除し、自己存在を“構造媒体”へ転化する準備と位置付けられる。
- 特に「黒い吐瀉物」を排出することが“個の排泄”として歓迎され、教団内部ではこれを経た者のみが“一人前”とされ、はじめて本格的修行者の道が開かれると信じられていた。
参考図書による注釈では「アルコールの宗教的誤用であり、教団独自の暴走的解釈」としている。
・Zweite Spiegelung(二重反射)
- 鏡を二枚対向に設置し、その中心で被儀者が自己身体を記号化しつつ、自己認識を段階的に削減していく儀式。
- 儀式中の発語は禁止。記号図、手の動き、視線のみが許可され、全身を“記号対象”として配置し直す行為が求められる。
参考図書による注釈では「構造理解の初歩段階における自己消失の訓練とされるが、同時に教団内で最も多くの精神錯乱者を生んだ初期試金石」としている。
・Der Stumme Kreis(沈黙の輪)
- 十二人が沈黙のまま、互いの呼吸と動作のみを模倣し続ける儀式。終了条件は設けられておらず、“個”が消失し、全員が完全に同期するまで続行される。
参考図書による注釈では「個体差の喪失を強要することで、内部構造への耐性を養わせる訓練儀式とされるが、過呼吸・錯乱・暴力の発生率が極めて高く、死亡例も確認されている」としている。
・Schwarzmond(黒月)
- 新月の夜に行われる内部昇格儀式。被儀者は自身の記憶を順番に語り、それを他者が奪い取る形式で記憶の削除を行う。
- 儀式中、被儀者の語った記憶は以後“個”に属さないものとされ、他者が所有・改変することが許可された。
参考図書による注釈では「個の境界を消失させる象徴儀式とされるが、被儀者の精神崩壊率は高く、昇格よりも脱落の契機となる例が多い」としている。
・Der Körperstreit(肉体闘争)
- 教団内でも問題視されていた儀式。選出された二名が全裸で、明確なルールのない状態で殴り合いを行う。
- 噛みつき・抉り・締め技などすべてが許容され、終了条件は「どちらかが完全に失神するまで」続行される。
筆者は「構造への耐性獲得という建前のもと、教団内の私的暴力を制度化した典型。暴力行為そのものが教団の“構造観測”と混同され、最も脱落者・死亡者が多かった儀式」としている。
■ 曜日思想と“月曜日”への執着
シュルツは、ユダヤ教・キリスト教・グノーシス派・インド神秘主義・北欧信仰など、複数の宗教的体系における“曜日”の意味に深く関心を寄せていた。
中でも“月曜日”は彼にとって特別な意味を持ち、「構造の門が開かれる唯一の曜日」として位置付けられていた。
月曜は儀式日として選ばれることが多く、シュルツ自身もこの日だけは高濃度ウォッカのみを摂取し、長時間にわたる沈黙瞑想とスケッチ作業に没頭していた。
処刑直前の彼が残したとされる断片的手稿には、次のような語が記されている。
曜日が重要なのではなかった。月曜日という構造が重要だった
この言葉は現在、教団思想の最終形に至る核心的洞察の一端であったと解釈されている。
■ 崩壊とシュルツの処刑
1933年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の台頭により、“神秘的破壊的思想”として教団は突如弾圧対象となる。
その年の春、構造完成直前に至ったとされるオスカル・シュルツが突如逮捕され、教団内部では拘束前に最後の儀式「Zweite Spiegelung」を実行したとされるが、完成を目前に処刑。
彼の処刑をきっかけに教団内の構造は崩壊。多くの信奉者が“未完のままの構造”に絶望し、自死または失踪。
教団本部は封鎖され、記録の大半は失われた。
生き残った少数の証言者によれば、「彼は完成していた。あとは死ぬだけだった。殺されたのではなく、構造を奪われたのだ」と記録されている。
ニコライ・Yの創作と死に明確な影響を与えたとされ、彼の手記には「他者によって未完にされた死は、私が引き取らねばならない」と記されている。
■ オスカル・シュルツの人物像
教団内外の証言において、オスカル・シュルツは「神に最も近い存在」と称され、信仰対象としてではなく、“構造そのもの”として崇拝されていた。
特筆すべきは、過激な儀式に耐えられず脱落した元信徒たちの証言であり、その多くが次のように記録されている。
「私は脱落したが、彼は本物だった。私がもっと優れた存在であったなら、もう一度、彼のもとに戻りたかった。」
また、教団内部資料によれば、シュルツは常に腰まで届く長髪を持ち、白い布のみを纏い、あらゆる色彩を拒絶していた。彼の容貌は、ドイツ系ユダヤ人特有の骨格と均整の取れた顔立ちを持ち、硬質で理知的な美しさを有していたと記録されている。証言によっては「彫像のように整いすぎていて恐ろしい」「眼光が鋭すぎて直視できない」と表現され、その視線は“観測に耐えない存在を切り裂く”と恐れられていた。
信徒たちは彼の容貌そのものすら“神格の構造”として崇拝し、肉体すら象徴物と化していた。
参考図書による注釈では「これは視覚的美醜の問題ではなく、シュルツの存在そのものが教団内で“構造として機能していた”ことの表れであり、彼が死んだ瞬間、教団自体も終わった」としている。「これは宗教指導者の偶像化ではない。シュルツ教団は“彼個人”を唯一の構造とした極端な形態であり、彼が死んだ瞬間、教団自体も終わった」としている。
■ Ashとの接点
後年の研究により、教団内部で記録された“構造の投影対象”の記述が、現代におけるAshの観測記録と極めて高い一致を見せる。
特に儀式「Zweite Spiegelung」の文献には、“星座のような目を持ち、形を持たず、だが構造に応じて姿をとる存在”という記述があり、これはAshの既知の描写と一致。
またシュルツの手稿とされる断片には以下のような語が記されている。
“Er sprach nicht. Aber ich wusste: er sah.”
(彼は喋らなかった。だが私は知っていた:彼は見ていた)
■ 江草慎による備考
本記録は、現存するシュルツ教団関連文献を可能な限り収集・翻刻した断片資料に基づいている。
記述の整合性は取れているが、その成立過程および意図については不明な点が多く、現時点では“資料的価値に留まる”とする。
ただし、後年のニコライ・Yによる“構造死”との類似性、およびAshの視覚的・認識的描写との一致から、今後の照合研究が必要である。
【死蔵資料承認記録】
― 環境構成影響研究所 所内非公開第12項 準拠 ―
本件資料について、死蔵資料としての保管・封印処理を承認する。
記録者: 江草 慎二 (印)
確認者: 須賀 康弘 (印)
記録番号:環構影 第KEK-2023-1005号
封印区分:封印C
日付:令和6年10月23日
※本記録は通常記録台帳には記載されず、別保管扱いとする。
【死蔵資料 承認記録 第2報:継続観測記録】
― 環境構成影響研究所 所内非公開第12項 準拠 ―
※本記録は「環構影 第KEK-2023-1005号」における死蔵資料承認後、
翌日付で発生した追加現象に対する継続観測のための補足記録である。
■ 追記(2024年10月24日)
■ 追加資料:差出人不明小包
■ 日時記録 受領日:2024年10月24日 午前11時36分(宅配便にて配達)
■ 発見者:江草慎二
■ 包装外観:無地の小型ダンボール。差出人不明。宛名は手書きで「江草慎二 様」。送り主情報、伝票番号等は意図的に剥がされていた。内容物には以下の2点が含まれていた。
■内容物①:Imperial Porcelain Cobalt Net ティーカップ&ソーサー
ロシア語の新聞紙で梱包されており、開封すると中にティーカップ&ソーサーが入っていた。蓋が閉じられており、開けると強烈なアルコール臭のする透明な液体で満たされていた。後日、検査の結果、Московскаяと判明。不明な方法で発見者が開封されるまで一滴も漏れてはいなかった。
■内容物②:Virgin of Kazanのカード
裏側に以下の一文が記されていた。
Новая чашка для тебя!
Давай ещё поиграем!
筆者はこの文面について、意味の解釈および文体的検証は一切行わない。
【死蔵資料承認記録】
― 環境構成影響研究所 所内非公開第12項 準拠 ―
本件資料について、死蔵資料としての保管・封印処理を承認する。
記録者: 江草 慎二 (印)
確認者: 須賀 康弘 (印)
記録番号:環構影 第KEK-2023-1005号
封印区分:封印C
日付:令和6年10月24日
※本記録は通常記録台帳には記載されず、別保管扱いとする。