ベルンは俺の腕を押さえたまま、傷口を覗き込んだ。
「動かすな」
「動かしてない!」
「震えてんだろうが!」
「寒いんだよ!」
自分でも止められない。
歯がかちかち鳴る。
ベルンは舌打ちして、俺の腕を持ち上げた。
防寒具の袖は嘴に破られ、血で濡れている。
「指、動かせ」
言われた通りに動かそうとする。
寒さのせいでぎこちないが、動く。
「握れ」
「こう?」
「力入れろ」
ベルンの指を握る。
腕の奥がずきっと痛んだ。
「痛っ」
「大きい血管は外れてる。骨もたぶん無事だ」
「たぶん!?」
「山の中で中まで見えるか!」
そう言うと、ベルンは荷物から水と洗浄剤を出した。
嫌な予感がした。
「ちょっと待って」
「待たん」
「それ、傷に入れるやつだろ」
「入れるやつだ」
「やだ!」
「黙れ!」
傷へ水が流し込まれた。
「いっっったあああああ!!」
身体が跳ねる。
「動くな!」
「痛いって!!」
「鳥の嘴が入った傷を洗わず閉じる馬鹿がいるか!」
続けて洗浄剤までかけられる。
「いっっっったい!!」
前にも似たようなことをされた気がする。
あの時はイノシシだった。
今回は、人を五人食った鳥だ。
俺、なんでこんな経験ばっかり増えてるんだろう。
ベルンは俺が騒いでいるのを無視して傷を洗い終えると、救急用の資材を取り出した。
それを傷口へ当てる。
短く何かを唱えた。
資材の一部が細かな粒になって消える。
腕の傷が熱を持った。
裂けた皮膚がゆっくり寄っていく。
赤い線を残して貼りつき、流れていた血が止まった。
「止まった……」
「中は治ってねえ。腕は使うな」
「分かってるよ」
今度はちゃんと分かっている。
回復魔法で全回復なんてしない。
痛みも普通に残っている。
ベルンは俺の頭にも手を伸ばした。
「頭は」
「痛い」
「吐き気」
「ない」
「目ぇ回るか」
「今は大丈夫」
「気ぃ失ってたんだな?」
「たぶん」
ベルンの顔がさらに険しくなった。
「たぶんじゃねえ」
「気絶してたから分かんないんだって!」
「立つな。しばらくここにいろ」
「帰らないの?」
「その震えで歩かせるか」
言われて、自分の手を見る。
まだ細かく震えている。
指先もまともに動かしづらい。
さっきよりはましな気もするけど、寒い。
ベルンは周囲を見回した。
枯れ枝や折れた木を集め始める。
「火、焚くの?」
「見りゃ分かるだろ」
湿っていそうな枝までまとめて積んだ。
それから腰の道具を一つ外す。
小さな金属片のようなものだった。
ベルンが短く唱える。
空気が少しだけ熱を持った。
枝の表面から白い湯気が上がる。
湿っていた木が、みるみる乾いていった。
「便利だな、それ」
「単純な乾燥だ」
「俺も覚えようかな」
「その前に基礎を読め」
何も言い返せない。
すぐに火がついた。
ぱちぱちと薪が鳴る。
ベルンは俺を火の近くへ座らせ、自分の外套まで肩へかけた。
「近づきすぎるな。ゆっくり温まれ」
「はい」
火の熱が顔に当たる。
それだけで少し安心した。
俺は両手を火へ向けた。
まだ震えている。
でも、さっきまでの身体の芯まで冷たい感じが、少しずつ薄れていく。
ベルンは俺を一度見て、それから倒れているイモクイへ向かった。
「何するの?」
「血抜き」
「今!?」
「待ってる間暇だろ」
「俺は暇じゃないよ!」
「お前は火に当たってろ」
そう言って、本当に始めた。
太い木の枝へ縄をかける。
巨大なイモクイの脚を縛り、引き上げる。
俺より大きい鳥が、目の前で逆さに吊られた。
「うわ……」
さっきまで俺を食おうとしていた鳥だ。
その鳥が今は木からぶら下がっている。
ベルンは慣れた手つきで刃物を入れた。
血が地面へ落ち始める。
俺は火に当たりながら、それを眺めるしかなかった。
「……地獄みたいな景色だな」
「何がだ」
「全部だよ」
ベルンは気にしていない。
しばらく血を抜いたあと、腹側を開いていく。
刃物の動きに迷いがない。
消化管を傷つけないように避けながら、内側へ手を入れた。
取り出したのは、赤黒い塊だった。
「それ何?」
「心臓」
「見れば分かるよ!」
ベルンは心臓を切り分け始めた。
薄く切った赤身を、そのまま口へ入れる。
「えっ」
思わず火から身を乗り出した。
「生で食うの!?」
「心臓はいい」
「いいって何が!」
「イモクイで心筋につく虫は知られてねえ。新鮮なら食える」
そう言いながら、また一切れ食べる。
俺は吊られたイモクイとベルンを交互に見た。
「猟師怖……」
「うるせえ」
次にベルンが取り出したものは、心臓の下、胃腸との間にある妙な器官だった。
肉とも内臓とも少し違う。
「それは?」
「魔法器官」
「ああ、それが」
魔法生物が生まれつき持っている器官。
教科書で見たことはある。
実物を見るのは初めてだった。
ベルンはそれを心臓とは別に置いた。
「それも生?」
「これは火を通す」
「何が違うの?」
「胃腸に近い」
短い。
でも、ベルンの中ではそれで十分らしい。
刃物も一度洗い、心臓を切った時とは扱いを変えている。
ちゃんと理由があってやってるんだ。
野蛮に見えるけど。
ベルンは携帯用の小さな鍋を出した。
水を入れ、生得器官とイモクイの赤身肉を切って放り込む。
塩らしいものも入れた。
鍋を火へかける。
「……何してるの?」
「飯」
「今から?」
「俺も腹減ってんだよ」
そう言われて、初めて気づいた。
ベルンの顔には疲れが出ている。
目の下も少し暗い。
いつから山にいるのかは知らないけど、少なくとも俺を探してここまで来て、イモクイまで撃った。
そりゃ腹も減る。
鍋から白い湯気が立ち上った。
煮えた肉の匂いが火の煙に混じる。
塩しか入れていないはずなのに、妙に腹を刺激する匂いだった。
汁の表面には細かな脂がきらきら浮いている。
脂っこそうというほどではない。
むしろ澄んだ汁の中に、肉の旨そうなところだけが溶け出している感じがする。
悔しいけど、普通にうまそうだった。
「食うか」
「……何を」
ベルンが鍋を指す。
俺はその向こうに吊られているイモクイを見た。
「嫌だよ!」
「温まるぞ」
「さっき俺を食おうとしてたんだぞ!」
「だから今こっちが食うんだろ」
「そういう問題!?」
ベルンは自分の分を器へよそった。
俺の分も勝手によそう。
「ほら」
「……」
熱い湯気が顔に当たった。
肉の匂いが近くなる。
身体はまだ冷えている。
腹も、言われてみればかなり減っていた。
朝から山を歩いて、滑落して、気絶して、鳥に食われかけた。
何も食べていない。
俺は器を受け取った。
「一口だけだからな」
「好きにしろ」
汁を少しすする。
熱い。
舌にまず塩気が来て、そのあとから赤身肉の濃い旨味が広がった。
脂は軽いのに、味は薄くない。
飲み込むと、熱が喉から胸、腹へ落ちていくのが分かる。
寒さで縮んでいた身体の中に、じわっと火が入ったみたいだった。
「……うまい」
「だろ」
「悔しい……」
今度は赤身肉を一切れ口へ入れる。
鶏肉とは全然違う。
歯を入れると、むちっとした弾力がある。
噛めば繊維がほどけて、濃い肉の味が出てきた。
牛肉みたいな赤身の旨味があるのに、後味はもっと軽い。
脂でうまいというより、肉そのものがうまい。
「……これ、鳥なんだよな?」
「見ただろ」
次に、魔法器官を箸でつまむ。
少し汁を吸って膨らんでいて、見た目は何とも言いにくい。
恐る恐る噛んでみた。
ふが、と歯が沈む。
柔らかいのに、すぐには崩れない。
噛むたびに中に染み込んだ熱い汁がじゅわっと出て、そのあとからレバーみたいな濃い旨味がじわじわ追いかけてきた。
臭みはない。
むしろ赤身肉より味が濃い。
「……これ、うま」
もう一口食べる。
今度は最初から分かっているせいか、この妙にふかふかした食感まで癖になりそうだった。
ベルンは横で心臓の刺身を食べている。
薄く切られた心臓は暗い赤色で、火を通した肉とは違う艶があった。
さっきは気持ち悪いと思ったのに、ベルンが普通に何枚も食っているのを見ていると、少し気になってくる。
「……それ、うまいの?」
「食うか」
すぐ返された。
俺は心臓とベルンを見比べた。
「……一口だけ」
「さっきからそればっかだな」
「いいだろ!」
薄切りを一枚渡される。
生肉だ。
口へ入れる直前になって、やっぱりちょっと怖くなる。
でも、ベルンは何枚も食っている。
俺は思い切って口へ入れた。
噛む。
「……ん?」
思っていたよりずっと食べやすい。
こりっとした歯応えのあと、むちっとした肉が歯の間で沈む。
噛むほどに濃い赤身の味が出てきた。
少しだけ鉄っぽい風味がある。
でも血生臭くはない。
むしろ、その鉄っぽさまで肉の濃さに混じっている。
「……うまい」
「だろ」
「なんでこんなうまいんだよ……」
さっきまで俺を食おうとしていたのに。
俺はまた吊られたイモクイを見る。
その横で熱いスープから湯気が立っている。
赤身肉はうまい。
魔法器官もうまい。
心臓までうまかった。
「……なんか複雑」
「食われるよりいいだろ」
「それはそう」
何も反論できなかった。
ベルンは心臓の刺身をつまみながら、スープも飲む。
俺よりずっと量が多い。
「魔法器官って、そんなに滋養あるの?」
「食える種なら食っとけ。消耗した時は楽だ」
「へえ」
俺ももう一口、スープを飲んだ。
さっきよりうまく感じた。
身体が温まってきたせいか、今度は肉の旨味までちゃんと分かる。
見た目だけは相変わらず最悪だった。
◇
火に当たっているうちに、震えはだいぶ収まった。
指も普通に曲がる。
ベルンが何度か俺の受け答えと目を確認して、ようやく立つよう言った。
「ゆっくり立て」
立ち上がる。
脚は動く。
身体中は痛いが、歩けないほどじゃない。
「歩ける」
「なら戻るぞ」
ベルンは火を始末した。
残ったイモクイの肉や器官も手早くまとめる。
「それ持って帰るの?」
「当たり前だ。捨てるか」
「重くない?」
「全部は持たん。回収位置は分かる」
必要な分だけ処理して持ち、残りは位置を覚えておくらしい。
本当に猟師だ。
俺の荷物までベルンが持った。
「自分で持てるよ」
「腕使うなっつっただろ」
「はい」
逆らわないことにした。
山はもう暗かった。
でも、昨日聞いた通り、イモクイは暗くなるとほとんど動けない。
ベルンは迷う様子もなく先を歩く。
俺はその後ろをついていった。
「なあ」
「何だ」
「ベルン、なんでここにいるの?」
「仕事だ」
「イモクイの?」
「そうだ」
それ以上は説明しなかった。
俺も聞く元気がなかった。
しばらく歩いて、またベルンが言う。
「で、お前は本当に何もしてねえんだな?」
「してないって何回言わせるんだよ!」
「列から離れたのは」
「鳥が走ってきたから逃げたんだよ! あんな速いと思わないだろ!」
「勝手に山へ入ったわけじゃねえな?」
「違う!」
「合図無視したわけでも」
「違う!」
「……そうか」
まだ疑ってる気がする。
腹が立つ。
でも、今はベルンについて歩くしかない。
◇
宿へ戻った時には、完全に夜だった。
入口の前に何人も人がいた。
俺たちを見ると、一斉に動いた。
カルヴェン語が飛び交う。
何を言っているのか分からない。
セラキア語を話せる係の男も出てきた。
「無事か!」
「一応」
腕は痛い。
身体中も痛い。
でも生きている。
係の男が俺の姿を確認し、それからベルンと話した。
ベルンが何か短く答える。
俺には分からない。
やがて係の男が俺へ向き直った。
「転落を見た者がいた」
「え?」
「負傷したイモクイが列へ突っ込んだ。お前は避けて斜面へ落ちた。指示違反ではない」
「ほら!!」
思わずベルンを見る。
「聞いた!? 俺、何も悪くない!」
ベルンは黙った。
「今回はちゃんと全部守ったんだからな!」
「……」
「謝ってよ!」
「うるせえ」
「なんで!?」
ベルンはしばらく俺を見た。
それから、ものすごく嫌そうな顔をした。
「……お前」
「何」
「運が悪いだけなのか?」
「俺に聞くなよ!!」
