第20話 人食い鳥、食べたらうまかった!

ベルンは俺の腕を押さえたまま、傷口を覗き込んだ。

「動かすな」

「動かしてない!」

「震えてんだろうが!」

「寒いんだよ!」

自分でも止められない。

歯がかちかち鳴る。

ベルンは舌打ちして、俺の腕を持ち上げた。

防寒具の袖は嘴に破られ、血で濡れている。

「指、動かせ」

言われた通りに動かそうとする。

寒さのせいでぎこちないが、動く。

「握れ」

「こう?」

「力入れろ」

ベルンの指を握る。

腕の奥がずきっと痛んだ。

「痛っ」

「大きい血管は外れてる。骨もたぶん無事だ」

「たぶん!?」

「山の中で中まで見えるか!」

そう言うと、ベルンは荷物から水と洗浄剤を出した。

嫌な予感がした。

「ちょっと待って」

「待たん」

「それ、傷に入れるやつだろ」

「入れるやつだ」

「やだ!」

「黙れ!」

傷へ水が流し込まれた。

「いっっったあああああ!!」

身体が跳ねる。

「動くな!」

「痛いって!!」

「鳥の嘴が入った傷を洗わず閉じる馬鹿がいるか!」

続けて洗浄剤までかけられる。

「いっっっったい!!」

前にも似たようなことをされた気がする。

あの時はイノシシだった。

今回は、人を五人食った鳥だ。

俺、なんでこんな経験ばっかり増えてるんだろう。

ベルンは俺が騒いでいるのを無視して傷を洗い終えると、救急用の資材を取り出した。

それを傷口へ当てる。

短く何かを唱えた。

資材の一部が細かな粒になって消える。

腕の傷が熱を持った。

裂けた皮膚がゆっくり寄っていく。

赤い線を残して貼りつき、流れていた血が止まった。

「止まった……」

「中は治ってねえ。腕は使うな」

「分かってるよ」

今度はちゃんと分かっている。

回復魔法で全回復なんてしない。

痛みも普通に残っている。

ベルンは俺の頭にも手を伸ばした。

「頭は」

「痛い」

「吐き気」

「ない」

「目ぇ回るか」

「今は大丈夫」

「気ぃ失ってたんだな?」

「たぶん」

ベルンの顔がさらに険しくなった。

「たぶんじゃねえ」

「気絶してたから分かんないんだって!」

「立つな。しばらくここにいろ」

「帰らないの?」

「その震えで歩かせるか」

言われて、自分の手を見る。

まだ細かく震えている。

指先もまともに動かしづらい。

さっきよりはましな気もするけど、寒い。

ベルンは周囲を見回した。

枯れ枝や折れた木を集め始める。

「火、焚くの?」

「見りゃ分かるだろ」

湿っていそうな枝までまとめて積んだ。

それから腰の道具を一つ外す。

小さな金属片のようなものだった。

ベルンが短く唱える。

空気が少しだけ熱を持った。

枝の表面から白い湯気が上がる。

湿っていた木が、みるみる乾いていった。

「便利だな、それ」

「単純な乾燥だ」

「俺も覚えようかな」

「その前に基礎を読め」

何も言い返せない。

すぐに火がついた。

ぱちぱちと薪が鳴る。

ベルンは俺を火の近くへ座らせ、自分の外套まで肩へかけた。

「近づきすぎるな。ゆっくり温まれ」

「はい」

火の熱が顔に当たる。

それだけで少し安心した。

俺は両手を火へ向けた。

まだ震えている。

でも、さっきまでの身体の芯まで冷たい感じが、少しずつ薄れていく。

ベルンは俺を一度見て、それから倒れているイモクイへ向かった。

「何するの?」

「血抜き」

「今!?」

「待ってる間暇だろ」

「俺は暇じゃないよ!」

「お前は火に当たってろ」

そう言って、本当に始めた。

太い木の枝へ縄をかける。

巨大なイモクイの脚を縛り、引き上げる。

俺より大きい鳥が、目の前で逆さに吊られた。

「うわ……」

さっきまで俺を食おうとしていた鳥だ。

その鳥が今は木からぶら下がっている。

ベルンは慣れた手つきで刃物を入れた。

血が地面へ落ち始める。

俺は火に当たりながら、それを眺めるしかなかった。

「……地獄みたいな景色だな」

「何がだ」

「全部だよ」

ベルンは気にしていない。

しばらく血を抜いたあと、腹側を開いていく。

刃物の動きに迷いがない。

消化管を傷つけないように避けながら、内側へ手を入れた。

取り出したのは、赤黒い塊だった。

「それ何?」

「心臓」

「見れば分かるよ!」

ベルンは心臓を切り分け始めた。

薄く切った赤身を、そのまま口へ入れる。

「えっ」

思わず火から身を乗り出した。

「生で食うの!?」

「心臓はいい」

「いいって何が!」

「イモクイで心筋につく虫は知られてねえ。新鮮なら食える」

そう言いながら、また一切れ食べる。

俺は吊られたイモクイとベルンを交互に見た。

「猟師怖……」

「うるせえ」

次にベルンが取り出したものは、心臓の下、胃腸との間にある妙な器官だった。

肉とも内臓とも少し違う。

「それは?」

「魔法器官」

「ああ、それが」

魔法生物が生まれつき持っている器官。

教科書で見たことはある。

実物を見るのは初めてだった。

ベルンはそれを心臓とは別に置いた。

「それも生?」

「これは火を通す」

「何が違うの?」

「胃腸に近い」

短い。

でも、ベルンの中ではそれで十分らしい。

刃物も一度洗い、心臓を切った時とは扱いを変えている。

ちゃんと理由があってやってるんだ。

野蛮に見えるけど。

ベルンは携帯用の小さな鍋を出した。

水を入れ、生得器官とイモクイの赤身肉を切って放り込む。

塩らしいものも入れた。

鍋を火へかける。

「……何してるの?」

「飯」

「今から?」

「俺も腹減ってんだよ」

そう言われて、初めて気づいた。

ベルンの顔には疲れが出ている。

目の下も少し暗い。

いつから山にいるのかは知らないけど、少なくとも俺を探してここまで来て、イモクイまで撃った。

そりゃ腹も減る。

鍋から白い湯気が立ち上った。

煮えた肉の匂いが火の煙に混じる。

塩しか入れていないはずなのに、妙に腹を刺激する匂いだった。

汁の表面には細かな脂がきらきら浮いている。

脂っこそうというほどではない。

むしろ澄んだ汁の中に、肉の旨そうなところだけが溶け出している感じがする。

悔しいけど、普通にうまそうだった。

「食うか」

「……何を」

ベルンが鍋を指す。

俺はその向こうに吊られているイモクイを見た。

「嫌だよ!」

「温まるぞ」

「さっき俺を食おうとしてたんだぞ!」

「だから今こっちが食うんだろ」

「そういう問題!?」

ベルンは自分の分を器へよそった。

俺の分も勝手によそう。

「ほら」

「……」

熱い湯気が顔に当たった。

肉の匂いが近くなる。

身体はまだ冷えている。

腹も、言われてみればかなり減っていた。

朝から山を歩いて、滑落して、気絶して、鳥に食われかけた。

何も食べていない。

俺は器を受け取った。

「一口だけだからな」

「好きにしろ」

汁を少しすする。

熱い。

舌にまず塩気が来て、そのあとから赤身肉の濃い旨味が広がった。

脂は軽いのに、味は薄くない。

飲み込むと、熱が喉から胸、腹へ落ちていくのが分かる。

寒さで縮んでいた身体の中に、じわっと火が入ったみたいだった。

「……うまい」

「だろ」

「悔しい……」

今度は赤身肉を一切れ口へ入れる。

鶏肉とは全然違う。

歯を入れると、むちっとした弾力がある。

噛めば繊維がほどけて、濃い肉の味が出てきた。

牛肉みたいな赤身の旨味があるのに、後味はもっと軽い。

脂でうまいというより、肉そのものがうまい。

「……これ、鳥なんだよな?」

「見ただろ」

次に、魔法器官を箸でつまむ。

少し汁を吸って膨らんでいて、見た目は何とも言いにくい。

恐る恐る噛んでみた。

ふが、と歯が沈む。

柔らかいのに、すぐには崩れない。

噛むたびに中に染み込んだ熱い汁がじゅわっと出て、そのあとからレバーみたいな濃い旨味がじわじわ追いかけてきた。

臭みはない。

むしろ赤身肉より味が濃い。

「……これ、うま」

もう一口食べる。

今度は最初から分かっているせいか、この妙にふかふかした食感まで癖になりそうだった。

ベルンは横で心臓の刺身を食べている。

薄く切られた心臓は暗い赤色で、火を通した肉とは違う艶があった。

さっきは気持ち悪いと思ったのに、ベルンが普通に何枚も食っているのを見ていると、少し気になってくる。

「……それ、うまいの?」

「食うか」

すぐ返された。

俺は心臓とベルンを見比べた。

「……一口だけ」

「さっきからそればっかだな」

「いいだろ!」

薄切りを一枚渡される。

生肉だ。

口へ入れる直前になって、やっぱりちょっと怖くなる。

でも、ベルンは何枚も食っている。

俺は思い切って口へ入れた。

噛む。

「……ん?」

思っていたよりずっと食べやすい。

こりっとした歯応えのあと、むちっとした肉が歯の間で沈む。

噛むほどに濃い赤身の味が出てきた。

少しだけ鉄っぽい風味がある。

でも血生臭くはない。

むしろ、その鉄っぽさまで肉の濃さに混じっている。

「……うまい」

「だろ」

「なんでこんなうまいんだよ……」

さっきまで俺を食おうとしていたのに。

俺はまた吊られたイモクイを見る。

その横で熱いスープから湯気が立っている。

赤身肉はうまい。

魔法器官もうまい。

心臓までうまかった。

「……なんか複雑」

「食われるよりいいだろ」

「それはそう」

何も反論できなかった。

ベルンは心臓の刺身をつまみながら、スープも飲む。

俺よりずっと量が多い。

「魔法器官って、そんなに滋養あるの?」

「食える種なら食っとけ。消耗した時は楽だ」

「へえ」

俺ももう一口、スープを飲んだ。

さっきよりうまく感じた。

身体が温まってきたせいか、今度は肉の旨味までちゃんと分かる。

見た目だけは相変わらず最悪だった。

◇

火に当たっているうちに、震えはだいぶ収まった。

指も普通に曲がる。

ベルンが何度か俺の受け答えと目を確認して、ようやく立つよう言った。

「ゆっくり立て」

立ち上がる。

脚は動く。

身体中は痛いが、歩けないほどじゃない。

「歩ける」

「なら戻るぞ」

ベルンは火を始末した。

残ったイモクイの肉や器官も手早くまとめる。

「それ持って帰るの?」

「当たり前だ。捨てるか」

「重くない?」

「全部は持たん。回収位置は分かる」

必要な分だけ処理して持ち、残りは位置を覚えておくらしい。

本当に猟師だ。

俺の荷物までベルンが持った。

「自分で持てるよ」

「腕使うなっつっただろ」

「はい」

逆らわないことにした。

山はもう暗かった。

でも、昨日聞いた通り、イモクイは暗くなるとほとんど動けない。

ベルンは迷う様子もなく先を歩く。

俺はその後ろをついていった。

「なあ」

「何だ」

「ベルン、なんでここにいるの?」

「仕事だ」

「イモクイの?」

「そうだ」

それ以上は説明しなかった。

俺も聞く元気がなかった。

しばらく歩いて、またベルンが言う。

「で、お前は本当に何もしてねえんだな?」

「してないって何回言わせるんだよ!」

「列から離れたのは」

「鳥が走ってきたから逃げたんだよ! あんな速いと思わないだろ!」

「勝手に山へ入ったわけじゃねえな?」

「違う!」

「合図無視したわけでも」

「違う!」

「……そうか」

まだ疑ってる気がする。

腹が立つ。

でも、今はベルンについて歩くしかない。

◇

宿へ戻った時には、完全に夜だった。

入口の前に何人も人がいた。

俺たちを見ると、一斉に動いた。

カルヴェン語が飛び交う。

何を言っているのか分からない。

セラキア語を話せる係の男も出てきた。

「無事か!」

「一応」

腕は痛い。

身体中も痛い。

でも生きている。

係の男が俺の姿を確認し、それからベルンと話した。

ベルンが何か短く答える。

俺には分からない。

やがて係の男が俺へ向き直った。

「転落を見た者がいた」

「え?」

「負傷したイモクイが列へ突っ込んだ。お前は避けて斜面へ落ちた。指示違反ではない」

「ほら!!」

思わずベルンを見る。

「聞いた!? 俺、何も悪くない!」

ベルンは黙った。

「今回はちゃんと全部守ったんだからな!」

「……」

「謝ってよ!」

「うるせえ」

「なんで!?」

ベルンはしばらく俺を見た。

それから、ものすごく嫌そうな顔をした。

「……お前」

「何」

「運が悪いだけなのか?」

「俺に聞くなよ!!」

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