翌朝。
目を覚ますと、窓の外はもう明るかった。
現場へ向かう馬車が出るのは昼だ。
まだ時間はある。
「せっかく外国まで来たんだし、ちょっとくらい見て回るか」
腹も減っている。
俺は集合時間だけ確認して、宿を出た。
昨夜は暗くてよく分からなかったが、朝の街はかなり賑やかだった。
石造りの建物が並ぶ通りを、人と荷車が行き交っている。
港の方からは潮の匂いと、魚の匂いが風に乗ってきた。
看板の文字はほとんど読めない。
人の話している言葉も分からない。
「本当に外国なんだなあ」
通りを歩きながら店を覗く。
当然、値札も読めない。
何軒か進んだところで、見覚えのある文字が目に入った。
「あっ、セラキア語!」
大きな宿の入口に札が貼ってある。
『セラキア語OK』
『セラキア硬貨・セグル紙幣使え〼』
「あるじゃん!」
喜んで中を覗いた。
綺麗な床。
厚い絨毯。
入口には制服を着た従業員。
俺はそのまま踵を返した。
「絶対高い」
さらに歩くと、今度は立派なレストランの窓にも南方語の札が見えた。
中では朝から白い卓布の前に、綺麗な服を着た客が座っている。
「ここも無理だな……」
財布には二千タサルしかない。
使える店はある。
でも、使えそうな店ほど高そうだった。
俺は安そうな店を探して、港の方へ歩いていった。
道が少し狭くなる。
綺麗な宿や店が減り、代わりに荷物を積んだ台車や魚籠が増えてきた。
店先には、見たことのない魚が丸ごと並んでいる。
「うわ、魚だ」
川魚ならセグルでも何度か食べた。
でも、潮の匂いのする市場に、海の魚が丸ごと山ほど並んでいる光景は久しぶりだった。
見慣れない魚。
銀色に光る魚。
細長い魚。
その横には、イカまで積まれている。
「海の魚食いたいな……」
腹が鳴った。
問題は、何がいくらなのか分からないことだった。
何軒か覗いてみたが、セグルの紙幣が使えるのかも分からない。
そろそろ戻る時間も気になってきた頃、通りの端に小さな屋台が見えた。
布を張っただけの屋根。
古びた木の台。
綺麗とは言い難い。
でも、魚を焼くいい匂いがする。
地元の人らしい客が何人か、朝飯を食べていた。
「……ここなら安そう」
俺は屋台へ近づいた。
中にいた年配の男が、俺を見る。
「……セラキア語、分かる?」
男は少し考えてから答えた。
「スコシ」
「おお!」
通じた。
俺は財布からセグルの千タサル札を一枚出した。
「これ、使える?」
男は札を受け取り、表と裏をじっと見る。
それから俺の手元に残った、もう一枚を指した。
「ソレ、二まい。ゼンブならオッケ」
「二千タサル全部?」
「オイシイ。いっぱいアルヨ」
二千タサルしかないのに、全部使うのはちょっと怖い。
でも、昼には現場へ向かう。
向こうに着くのは何時になるのかわからない。
それに、この辺でほかにセグルの金を使える店を探せる気もしない。
「……じゃあ、それで」
男がにっと笑った。
しばらくすると、卓の上へ料理が次々と並べられた。
白い飯。
皮をこんがり焼いた魚。
魚の頭や骨が入った、湯気の立つ汁。
そして、薄く切られた生のイカ。
「……イカじゃん!」
身は白というより半透明で、皿の色がうっすら透けて見える。
「うわ、これ絶対新鮮なやつだ」
異世界に来てから、生のイカなんて一度も食べていない。
小皿には、見覚えのある濃い茶色の液体まで入っていた。
「醤油だ!」
嬉しくなってイカをつけ、口へ運ぶ。
こりこりしている。
甘い。
「うまっ!」
その直後、ふわっと柑橘の香りが抜けた。
「……ん?」
もう一度つけて食べる。
醤油だ。
ほとんど醤油なんだけど、最初から柑橘の汁が混ざっている。
「ちょ、ちょっと違うけど……これはこれでうまい!」
むしろイカにはかなり合う。
「サカナ、ケサ!」
店主が嬉しそうに港の方を指差した。
「今朝獲れたってこと?」
「ケサ! ケサ! オイシイ!」
「うまい!」
焼き魚も脂が乗っている。
汁も魚の出汁がしっかり出ていた。
白い飯まで山盛りだ。
俺は卓の上を見回した。
新鮮なイカの刺身。
焼き魚。
あら汁。
ご飯。
「おお! これで二千タサルなら、観光地の割に妥当じゃん!」
店主が満足そうに笑った。
「オイシイ。いっぱいアルヨ!」
「ほんとにいっぱいあった!」
腹いっぱい食べて、俺は機嫌よく屋台を出た。
適当に歩いていると、頭の上を何かが横切った。
鳥だった。
白と灰色の羽をした、カモメみたいな鳥。
ただ、普通の鳥より少し大きい。
一羽だけじゃない。
屋根や軒先、看板の上に、似たような鳥が何羽も止まっていた。
「鳥多いな」
港町だからだろうか。
そんなことを考えていると、少し先を歩いていた女の人の頭へ、一羽が急降下した。
「うわっ」
鳥が女の顔へ何かを吐いた。
女が悲鳴を上げて顔を押さえる。
その瞬間。
別の鳥が横から飛び込み、女の耳元へ嘴を伸ばした。
きらりと光るものが外れる。
耳飾りだ。
「盗った!?」
耳飾りを咥えた鳥が飛び上がる。
女が叫び、近くにいた男が追いかけた。
すると屋根の上にいた別の一羽が、小さな貝殻みたいなものを男の頭へ落とした。
「連携してる!?」
男が上を向いて怒鳴る。
鳥たちは一斉に飛び立った。
そのうち一羽が、逃げながら何か叫んだ。
知らない言葉だった。
たぶんカルヴェン語だ。
周りの人間が笑ったので、ろくな意味ではない気がする。
「何なんだよ、あいつら……」
呆れて見上げる。
すると、すぐ近くの軒先に一羽残っていた。
黒っぽい羽に、白い胸。
こいつだけ妙に堂々としている。
俺と目が合った。
鳥が首を傾げる。
俺も見返す。
「……何だよ」
鳥が嘴を開いた。
「――!」
知らない言葉だった。
続けて、また別の音を出す。
「――! ――!」
どれも短い。
たぶん何か喋っているんだろうが、意味は分からない。
そして四つ目。
「バーカ!」
「は!?」
思わず声が出た。
鳥の頭がぴくっと動く。
「お前、今なんて言った!?」
「バーカ!」
「はあ!?」
「バーカ! バーカ!」
明らかに増えた。
「何でそこだけ連呼するんだよ!」
「バーカ! バーカ! バーカ!」
「分かって言ってるだろお前!!」
俺が一歩近づくと、鳥はぱっと飛び上がった。
「バーカ! バーカ!」
「待てこら!!」
追いかけたところで、当然捕まるわけがない。
鳥は俺の頭上を一周し、嬉しそうに「バーカ!」を連呼しながら屋根の向こうへ消えていった。
「……絶対意味分かってただろ、あいつ」
腹が立つ。
