第33話 美少女メイドに囲まれる仕事、最高!

目を開けると、目の前に猫耳があった。

「うわっ」

思わず身体を引く。

すぐ隣で、ロロが気持ちよさそうに眠っていた。

共同寝台には、他にも何人かの獣人が寝ている。俺の足には、誰のものか分からない尻尾が載っていた。

そうだ。

昨日、梅酒を飲んで、そのまま寝たんだった。

窓の外は、もうすっかり明るい。

俺はぼんやり窓を見た。

今日、何かあったような……。

「あっ、仕事!」

俺は慌てて尻尾をどかし、共同寝台から抜け出した。

今日は貴族の引っ越しだ。

朝にヴァルのところへ来いと言われていた。

危ない。

初日から遅刻するところだった。

一度自分の部屋へ戻って着替え、そのままヴァルのところへ走る。

扉を開けると、ヴァルはいつもどおり机の向こうに座っていた。

「おはようございますにゃ♡」

「間に合った!?」

「間に合っていますにゃ♡」

よかった。

ヴァルは窓の外を指した。

「お迎えが来ていますにゃ♡ 他の作業員さんと一緒に行ってくださいにゃ♡」

「おう!」

外には大きな馬車が停まっていた。

中には、作業着を着た獣人が何人も乗っている。

馬、牛。

でかいやつばかりだ。

見るからに家具を運ぶための人員だった。

俺も空いている席へ座る。

馬車は街中を進み、やがて住宅の少ない場所へ入った。

しばらくして、大きな門が見えてくる。

門をくぐってからも、玄関まではまだ遠かった。

正面の建物から左右へ長い棟が伸びている。

「でっか!」

思わず声が出た。

俺が住んでいる集合住宅なら、敷地ごと何個も並べられそうだ。

これで別荘なのか?

貴族の家、金かけすぎだろ。

馬車が屋敷の前で停まる。

すでに別の馬車も何台か到着していて、作業員たちが荷物を下ろしていた。

大きな家具や木箱が、次々と屋敷の中へ運ばれていく。

俺たちも馬車から降り、玄関前へ集められた。

前に立った作業責任者らしい男が、名簿を見ながら口を開く。

「家具と大型の木箱は、印のついた部屋まで運ぶ。割れ物と装飾品には触らないこと。配置が分からない場合は、屋敷の使用人へ確認すること」

説明を聞きながら、広い玄関前を見回す。

作業員も馬車も、まだ次々と入ってくる。

貴族の引っ越し、規模が違いすぎる。

「それから、作業中に指示が変更された場合は、新しい指示を優先すること」

そりゃそうだ。

男は名簿を閉じた。

「最後に、ニカンドラ様に逆らわないこと。以上だ」

ニカンドラ様って、この屋敷の持ち主か?

まあ、金を払う相手に逆らうやつはいないだろ。

説明が終わると、作業員たちはそれぞれの持ち場へ散っていった。

俺も家具を運ぶ作業員についていこうとする。

その時、屋敷の中から一人の女性が出てきた。

長い裾の濃い色の使用人服に、白いエプロン。

頭には柔らかそうな羊耳が生え、その脇から巻き角が伸びていた。

髪は羊毛みたいにふわふわと細かく巻いていて、両側から編み、後ろで丸くまとめている。ほどけばかなり長そうだ。

小さな顔に、すっとした鼻と形のいい唇。

目元は少しつり気味で、なんとなくつんとして見える。

でも、普通にかわいい。

本物の美少女メイドだ。

女性と目が合った。

俺は何も見ていなかった顔で、その目を見返した。

女性は作業員たちを見回すと、まっすぐ俺の前まで来た。

「本日の人間はあなたですね」

「え? あ、はい」

「ニカンドラ様付き筆頭侍女のクレールです。あなたは我々使用人と共に作業します。まずはニカンドラ様にご挨拶なさい」

俺だけ別なのか。

なるほど。

家具運びじゃなく、細かい物の配置もする契約だった。

しかも美少女メイドと一緒。

人間でよかった!

「分かりました!」

クレールについて、屋敷の奥へ進む。

本物のメイドだ。

でも、なんか俺の知ってるメイド服と違うな。

もっとこう、ふわっとして、かわいい感じの……。

今見た服は、首から足までほとんど隠れていた。

どちらかというと、教会の……なんだっけ。

ああ、修道女?

でも、これはこれで逆にいいかも……?

どっちにしろ、顔はめちゃくちゃかわいいし!

広い。

廊下だけで俺の部屋より広い。

壁には絵が掛けられ、窓には分厚い布が垂れている。

まだ引っ越しの途中なのに、すでに俺の部屋より物が多い。

階段を上がり、さらに長い廊下を歩く。

クレールが、一つの扉の前で立ち止まった。

軽く扉を叩く。

「ニカンドラ様。本日の人間をお連れしました」

「お入りなさい」

柔らかな女の声が返ってきた。

クレールが扉を開ける。

中は執務室らしい。

羊の角と耳を持つ美少女たちが、同じメイド服を着て、すでに箱を開け、書類や小物を棚へ収めていた。

クレールを合わせて七人。

みんな羊毛みたいな、ふわふわと細かく巻いた長い髪をしていた。

でも、まとめ方は一人ずつ違う。

高い位置で丸くまとめている子。

太い三つ編みを肩へ垂らしている子。

頭の横から編んで、後ろでまとめている子。

リボンで低く束ねている子。

同じ羊耳と巻き角がついているのに、髪型が違うだけでちゃんと雰囲気も違って見える。

しかも、全員かわいい。

「本物の美少女メイドだ……!」

声が出た。

異世界の貴族屋敷。

羊の美少女メイド。

これだよ!

俺が異世界に求めていたのは、こういうやつだ!

この美少女メイドたちに囲まれて働けるのか?

荷物を運んで、一万五千タサルももらえて、さらに美少女メイドつき。

やっぱり今回は当たり仕事だ!

その奥には大きな机と椅子があり、一人の女性が座っていた。

最初に目についたのは、首元と肩を覆う銀灰色の毛皮だった。

首の両側から喉元へ回り込み、肩の辺りは特にふさふさしている。

厚手の布で仕立てられた服は、その毛並みを隠さないよう首元が大きく開けられていた。

銀灰色の毛皮が、そのまま豪華な襟飾りみたいに見える。

狼耳を持つ、綺麗な女だった。

ただし。

でかい。

座っているのに、すでにでかい。

女性は机へ置いていた書類から顔を上げた。

高くまっすぐな鼻。

彫りの深い目元。

唇の形まで綺麗に決まっている。

普通なら、どこか一つくらい微妙なところがあるはずなのに、どこを見ても崩れていない。

整いすぎていて、生きている女の顔というより作り物みたいだった。

美術の教科書に載っていた彫刻が、そのまま目を開けたみたいだ。

クレールが俺を見た。

挨拶しろということだろう。

俺は背筋を伸ばした。

「ヴァルグレン契約代行社から来ました、佐藤拓海です。よろしくお願いします」

女性がわずかに目を細めた。

「ヴァルグレン……」

少し考える。

「ああ、狐さんのところね」

ヴァルのことを知ってるんだ。

まあ、あいつ顔が広そうだしな。

女性は椅子から立ち上がった。

厚手の服の裾が足元まで落ち、その下にヒールのある靴が見えた。

「でかっ!」

また声が出た。

二メートルは余裕で超えている。

ヒールの分、さらに高い。

俺の頭が肩にも届かない。

ニカンドラは、机の横を回って俺の前まで来た。

近い。

見上げないと顔が見えない。

「人間さん。もう少しよくお顔を見せてくださいませ」

口元に笑みが浮かぶ。

その瞬間、上下の歯列から太い牙が見えた。

完全に肉食獣の牙だ。

ニカンドラが手を伸ばす。

長い指の先に、硬そうな黒い爪が生えていた。

その指先が、俺の顎の下へ触れる。

「っ」

身体が固まった。

爪は刺さっていない。

痛くもない。

ただ、少し動けば喉へ引っかかりそうで、動けなかった。

ニカンドラは指先で俺の顔を上げ、楽しそうに覗き込む。

「今日は、よく働いてくださいね♡」

「は、はい」

ニカンドラは満足そうに微笑み、俺から手を離した。

でかい。

牙も爪も怖すぎる。

ニカンドラは机へ戻り、書類へ目を落とした。

「では、作業を始めましょう」

クレールが何事もなかったように言った。

俺はすぐに頷く。

「はい!」

◇

俺の仕事は、ニカンドラの執務室に書籍と細かな荷物を並べることだった。

大きな家具や荷造りされた木箱は、外から来た馬や牛の作業員が運ぶ。

書籍の箱は、執務室の前まで運ばれていた。

そこから箱を開け、本を何冊かずつ運び、指定された順番で書棚へ収めていく。

一緒に作業するのは、さっき見た七人の美少女メイドだ。

最高だ。

本を並べるだけ。

しかも周りは全員美少女。

やっぱり当たり仕事じゃん!

「こちらの箱は、奥の書棚へお願いします」

「任せて!」

クレールから本を受け取る。

一冊一冊は大した重さじゃない。

俺はまとめて何冊も抱え、書棚まで運んだ。

近くでは、羊の女の子たちも同じように本を運んでいる。

一度に運ぶ量は、俺より少ない。

見た目どおり、あまり力はないらしい。

「それ、俺が持とうか?」

俺は近くにいた羊の女の子へ声をかけた。

「あなたの担当分が残っています」

「あ、はい」

女の子は本を抱えたまま、さっさと歩いていった。

真面目だな。

美少女なうえに働き者。

偉い。

俺も本を棚へ置き、次の箱へ戻る。

箱を開ける。

本を抱える。

棚まで運ぶ。

指定された順番に並べる。

また箱へ戻る。

同じ作業を何度も繰り返す。

最初は余裕だった。

でも、箱が全然減らない。

「まだあるの?」

「ございます」

クレールが、廊下に積まれた箱を示した。

奥までずっと並んでいる。

貴族、本持ちすぎだろ。

大学へ行くからって、全部持ってくる必要あるか?

教科書だけでいいだろ。

俺はもう一度、本を抱える。

さっきより腕が重い。

羊の女の子たちは、まだ同じ速さで動いていた。

一度に持つ量は少ないのに、止まらない。

本を取り、運び、並べ、すぐに次の本を取りに戻る。

動きにも無駄がない。

「めちゃくちゃ働くな……」

ロロなら、三往復くらいで眠いと言い出しそうだ。

ここのメイドたちは、全然休もうとしない。

貴族の家で働くメイドは、ちゃんと教育されているのかもしれない。

俺も負けていられない。

美少女メイド七人の中で、俺だけへばるわけにはいかない。

さらに何冊か重ねて持つ。

重い。

でも、一回でたくさん運んだ方が早く終わる。

「人間さん。そちらは下から三段目です」

「分かってる!」

名前を名乗ったのに、この羊まで人間さんと呼んでいる。

屋敷では、それが俺の役名なのかもしれない。

本を棚へ収める。

また戻る。

運ぶ。

並べる。

昼を過ぎても、作業は続いた。

腕が痛い。

腰も痛い。

指先は、本の角が何度も当たって赤くなっていた。

それでも箱は少しずつ減っていく。

羊のメイドたちは、相変わらず同じ速度で動いていた。

こいつら、体力ありすぎない?

愛玩種って、もっとロロみたいなものじゃないのか。

いや。

ロロが特別ダメな猫なだけだった。

テオも普通に家事をしていた。

顔がいいからって、全員がロロみたいなわけじゃない。

俺は学習する人間だ。

最後の箱が空になった。

残っていた本を棚へ収める。

クレールが、書棚を端から確認していく。

「配置は完了しました」

「終わったー!」

思わず、その場で腰へ手を当てる。

長かった。

ただ本を並べるだけなのに、腕がもう上がらない。

でも、終わった。

これで一万五千タサルだ。

美少女メイドに囲まれて働けたし、途中からあんまり見る余裕はなかったけど、悪くない仕事だった。

羊のメイドたちが一斉に姿勢を正す。

大きな机の向こうで、ニカンドラが書類から顔を上げた。

椅子から立ち上がり、書棚を眺める。

豊かな銀灰色の毛皮が、歩くたびに肩の上で揺れた。

次に、俺を見た。

「あらあら。人間さん、ずいぶん頑張りましたのね♡」

「まあ、これくらい余裕ですよ」

本当は腕が痛い。

でも、美少女メイド七人の前で疲れたとは言えない。

ニカンドラが嬉しそうに笑う。

太い牙が見えた。

「まあ、頼もしいこと♡」

ニカンドラは満足そうに執務室を見回した。

それから、隣の部屋へ続く扉を開ける。

隣にも、同じような大きな書棚が並んでいた。

「やっぱり、書籍はこちらのお部屋にしますわ♡」

「え?」

「すべて、こちらへ運び直してくださいませ♡」

羊のメイドたちは、一斉に頭を下げた。

「承知いたしました」

すぐに書棚から本を取り出し始める。

「ちょっと待って!」

俺は慌てて声を上げた。

「今、全部並べたばっかりですよ!?」

「ええ。綺麗に並んでいますわね♡」

「これを、全部?」

「もちろんですわ♡」

ニカンドラは何がおかしいのか、楽しそうに笑っている。

「でも、もう――」

疲れた。

そう言いかける。

ニカンドラが俺の前へ歩いてきた。

ゆっくりした足音が近づくたび、身体が固くなる。

目の前で立ち止まると、大きな身体が視界を塞いだ。

見上げる。

笑った口元には太い牙。

下ろした手の指先には黒い爪。

喉の奥が詰まる。

息を吸ったのに、全然足りない。

「人間さんには、難しいお仕事だったかしら?」

後ろでは、七人の羊の美少女メイドが働いている。

誰も文句を言っていない。

俺だけ無理だとは言えない。

「……できますけど!」

「あら、よかった♡」

ニカンドラの笑みが、さらに深くなった。

朝の説明を思い出す。

ニカンドラ様に逆らわないこと。

そういう意味だったのかよ!!

俺は今並べたばかりの本へ手を伸ばした。

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