結局、俺はロロをもう一度おぶって、共同寝台まで運んだ。
大きな寝床の空いている場所へ下ろすと、ロロは毛布へ顔を埋めた。
「ふう。よし、帰るか」
なんか結局、今日もロロに振り回されたな……。
風呂には入れたし、尻尾を乾かすのはちょっと面白かったけど。
俺が立ち上がると、テオが声をかけてきた。
「たっくん、ありがとうにゃ~♡ ロロ、今は生え変わりの時期にゃ~。あのまま寝たら、共同寝台が毛まみれになるところだったにゃ~」
「ああ。だからあんなに毛が抜けたのか」
テオは眠っているロロを見て、困ったように笑った。
「眠い猫さんは、なかなか言うこと聞かないにゃ~」
それから、俺へ向き直った。
「よかったら、ちょっと飲んでいくにゃ?」
テオが酒瓶と軽いつまみをテーブルへ並べる。
俺は帰りかけた足を止めた。
酒。
今の俺に必要なものだ。
「いただきます!」
こうして俺は、シェアハウスの住民と飲むことになった。
テオが小さな杯へ、琥珀色の酒を注ぐ。
「これ、何の酒?」
「梅酒にゃ~。この家のみんなで漬けたにゃ」
「みんなで?」
「梅を買ってきた子もいるし、お酒や砂糖を出した子もいるにゃ~」
一口飲んでみる。
甘い。
梅の香りがして、酒というよりジュースみたいだ。
これならいくらでも飲めそうだった。
「テオ、明日は仕事ないの?」
「僕はお休みにゃ~。だから今日は飲めるにゃ」
「いいなぁ、俺は明日仕事だー」
そう言いながら、もう一口飲む。
「なあ、そういえばさ」
「何にゃ?」
「お前ら、毎日ミルク風呂に薔薇浮かべてんの!?」
「毎日じゃないにゃ~。今日は入れたい子が用意したにゃ」
「でも薔薇まで入ってたぞ」
「みんなでちょっとずつ足すんだにゃ~。 僕が入った時はただのミルク風呂だったにゃ〜」
そういうものなのか。
俺はもう一口、梅酒を飲んだ。
「シェアハウスって、金がないから仕方なく住むところじゃないの?」
テオが青い目を瞬いた。
「安い方がいい子も住んでるにゃ」
「やっぱりそうじゃん」
「でも、お金があっても一緒に住むにゃ~」
「なんで?」
「一人だと寂しいにゃ」
あまりにも当然のように言われた。
「いや、でも個室は欲しいだろ」
「欲しい時は二階のお部屋を借りるにゃ。荷物を置いたり、一人になりたい時に使うにゃ~」
「上にも住める部屋あるんだ?」
「あるにゃ。三階には混血さんのお部屋もあるにゃ。ずっと静かなお部屋が必要な子が住んでるにゃ」
共同寝台しかない建物だと思っていた。
必要な時だけ個室を追加するらしい。
俺からすれば、最初から全員に個室をつければいい気がする。
「ここ、家賃いくら?」
「一階だけなら三万タサルにゃ~」
「三万!?」
思わず大きな声が出た。
あの広い風呂がある。
テレビもある。
大きな冷蔵庫も、厨房も、共同寝台もある。
それで三万タサル。
「俺の部屋、十万タサルなんだけど」
「個室はどこも高いにゃ~」
「俺の部屋、風呂ないぞ! 共同シャワーだけだぞ!」
「でも、一人でいられるにゃ?」
「そりゃそうだけど」
テオは不思議そうに首を傾げた。
「たっくんは毎日、一人でご飯食べて、一人で寝るにゃ?」
「普通そうだろ」
「僕だったら寂しくて具合悪くなるにゃ~」
俺たちは、たぶん永遠に分かり合えない。
俺は十万タサル払って、狭い部屋で一人で蒸し饅頭を食っている。
こいつらは三万タサルで、ミルク風呂へ薔薇を浮かべている。
何かがおかしい。
玄関の扉が開いた。
「ただいまー。なんか食いもん残ってる? 腹減ったー」
入ってきたのは、作業着を着た若い馬の男だった。
でかい。
俺より頭一つ以上高く、肩幅も広い。
やっぱり労働種ってでかいな。
「おかえりにゃ~。鍋にシチューあるにゃ。パンも残ってるにゃ~」
「よっしゃ。昨日は帰ったら空だったからな」
「昨日のスープはおいしくできすぎたにゃ~」
男は鞄を置くと、まっすぐ厨房へ向かった。
大きな器へシチューを山盛りによそい、パンを三つ抱えて戻ってくる。
どうやら今まで、食事しか目に入っていなかったらしい。
俺たちの向かいへ座ろうとしたところで、ようやく俺に気づいた。
「ん? 客?」
「ロロのたっくんにゃ」
「ああ、あんたが」
俺のことを知っているらしい。
ロロ、住民にどこまで話してるんだ。
「俺はバト。よろしく」
「拓海。よろしく」
バトは気さくに笑うと、またシチューを食べ始めた。
一口がでかい。
山盛りだったシチューが、見る見る減っていく。
「今日も遅かったにゃ?」
「最後の荷が遅れてさ。倉庫に着くまで待ってた」
「倉庫?」
俺が聞くと、バトがパンを飲み込んでから答えた。
「運河から来た荷物を下ろす倉庫。俺、そこで働いてるんだ」
「へえ。今日は荷下ろしの仕事だったんだな」
「今日も、だな」
テオが酒瓶を持ち上げる。
「バトも飲むにゃ?」
「明日早いから、今日はいいや」
「明日も同じ倉庫?」
「そうだけど」
「定職なんだ?」
「うん。なんでそんな驚くんだ?」
「いや、俺の友達は仕事のある場所へ移動して、季節ごとに違う仕事してたからさ。労働種はみんなそうなのかと思ってた」
バトは少し考えてから、首を横に振った。
「そういう働き方のやつもいるけど、俺は毎回職場を変える方が面倒だな。同じ倉庫なら、手順も人も分かってるし」
「むしろ、同じ職場に通ってるやつの方が普通だと思うけど」
そうだったのか。
変わっていたのは労働種じゃなくて、ダグの方だったらしい。
バトは二杯目のシチューまできれいに食べ終えた。
食器を洗い場へ置き、大きく伸びをする。
「ごちそうさま。風呂空いてる?」
「空いてるにゃ~」
「じゃあ、風呂入って寝る。おやすみ」
「おやすみにゃ~」
少し話しただけで、バトは風呂場へ消えていった。
しばらくすると、着替えたバトが戻ってきて、もう一度「おやすみ」と言い、そのまま共同寝台へ向かった。
食って、風呂に入って、寝た。
なんて迷いのない生活なんだ。
再び玄関が開いた。
「ただいまにゃ~」
今度は二人だった。
一人は、小さく折れた犬耳と細長い尻尾を持つ背の高い青年だった。
細身で手足が長く、すっきりした顔立ちをしている。
もう一人は、長い垂れ耳と飾り毛のある尻尾を持つ小柄な犬耳美少女だった。
犬耳美少女の目が、俺を見た瞬間に輝いた。
「わぁ! 人間さんにゃ! 珍しいにゃ~! なでなでしてほしいにゃ~♡」
「えっ、いいの!? もちろん!」
犬耳美少女はすぐに俺の隣へ座り、撫でやすいように頭を傾けた。
俺は犬耳美少女の頭に手を乗せ、そのままゆっくり撫でる。
髪に混じって、時々指へ触れる垂れ耳がふわふわしていた。
飾り毛のある尻尾が、椅子の脇で嬉しそうに揺れた。
これだよ。
俺が異世界に求めていたのは、こういうやつだ。
少し遅れて、テオが二人に声をかけた。
「おかえりにゃ~。この人間さんはたっくんにゃ」
「たっくんにゃ?♡」
「この子がリラにゃ。こっちはフィロにゃ。二人とも同じお店で働いてるにゃ~」
「リラにゃ♡ よろしくにゃ~」
俺がそのままリラの頭を撫でていると、リラが俺を見上げた。
「たっくんも、やっぱり接触店で働いてるにゃ?♡」
「やっぱりって何?」
「セグルにいる人間さん、接触店で働いてる人が多いにゃ」
「俺は違うよ」
「そうにゃ?」
「君がたっくんか。ロロからよく聞いてるにゃ」
フィロも俺の向かいへ座った。
「俺のこと、なんて聞いてる?」
「変な仕事ばかりしてる人間」
「間違ってないけど、他になかったの?」
「たっくんは面白いにゃ~って言ってたにゃ」
ロロが俺の話をしているところは、少し想像できない。
どうせ途中で別の話になっているだろう。
テオが二人の前にも杯を置いた。
「二人とも、明日は遅番にゃ?」
「そうにゃ~♡」
「じゃあ飲むにゃ」
梅酒が注がれる。
乾杯して、また一杯飲む。
甘いから、いくら飲んでも酒を飲んでいる気がしない。
リラの頭を撫でながら飲むと、さらに美味い。
何杯目か分からなくなった頃、フィロが席を立った。
細長い尻尾が、ゆらゆら揺れている。
「オレもなでなでするにゃ~♡」
「お前もかよ! 男まで来るな!」
「リラばっかりずるいにゃ~」
フィロは俺の返事を待たず、膝へ頭を載せてきた。
さっきまで普通の兄ちゃんだったのに、酔って完全に甘えた顔になっている。
見た目との落差がすごい。
「ほら、なでなでにゃ~」
「しょうがねえな……」
右手でリラの頭を撫でる。
左手で、フィロの頭を撫でる。
犬耳美少女と、細身の犬耳イケメン。
片方は余計だけど、悪くない。
フィロが気持ちよさそうに目を閉じた。
「ん~♡ やっぱり人間さんじゃないと味わえない良さがあるにゃ~♡」
「にゃ~♡」
リラも俺の腕へ頬を寄せながら同意する。
二匹の尻尾が、揃って機嫌よく揺れていた。
俺、そんなに撫でるの上手かったのか。
「テオも撫でようか?」
俺が聞くと、テオはすぐに首を横へ振った。
「僕はいいにゃ」
テオはわずかに身体を引いた。
同じ愛玩種でも、テオはあまり触らせてくれないらしい。
猫は気まぐれだ。
テオはロロと同じ猫系なのに、自分で風呂へ入り、他人の世話までしている。
バトは毎日同じ倉庫へ通っている。
もしかして、ロロが特別ダメな猫で、ダグが特別変な労働種だっただけなのか?
俺がこの国で最初に仲良くなった獣人、変なやつばっかりじゃないか。
「たっくん、もう一杯飲むにゃ?♡」
リラが酒瓶を持ち上げる。
「飲む!」
考えるのはやめた。
犬耳美少女を撫でながら酒が飲めるんだ。細かいことはどうでもいい。
◇
どれくらい飲んだのか分からない。
酒瓶は、さっきよりずいぶん軽くなっていた。
フィロはまだ俺の膝へ頭を載せている。
リラは俺の肩へ寄りかかり、尻尾を揺らしていた。
「そろそろ帰るか……」
俺が言うと、フィロは名残惜しそうに膝から頭を上げ、リラも肩から離れた。
俺は椅子から立ち上がった。
その瞬間、部屋が傾いた。
「うおっ」
身体が横へ倒れかける。
次の瞬間、フィロの腕が俺を受け止めた。
さっきまで酔っ払って甘えていたのに、動きはやたら速い。
「たっくん酔っ払いにゃ~♡ 寝ていくにゃ♡」
「余裕。全然酔ってない。帰れる」
フィロの腕から離れようとしたら、今度は床が揺れた。
おかしい。
この家、傾いてないか?
フィロは俺の返事を聞かず、片腕を俺の背中へ、もう片方を膝の裏へ回した。
身体がふわりと浮く。
「わがままいうのはロロだけでいいにゃ~♡」
「ちょっ、待て! なんでお姫様抱っこなんだよ!」
細身のくせに、俺を抱えたまま少しもふらつかない。
こいつ、意外と力強くね?
「下ろせ! 自分で歩ける! 男にお姫様抱っこされるとか恥ずかしいだろ!」
「歩けてなかったにゃ~♡」
フィロは俺の抗議を無視して、そのまま共同寝台まで歩いていく。
さっき寝かせた場所で、ロロがまだ気持ちよさそうに眠っていた。
こいつ、俺が飲んでいる間、一回も起きなかったな。
フィロはロロの隣へ俺を下ろした。
「五分だけだからな」
俺はそのまま横になった。
共同寝台は、やっぱり寝心地がいい。
五分だけだ。
少し休んだら、ちゃんと自分の部屋へ帰る。
俺は目を閉じた。
次に目を開けた時、窓の外はもう明るかった。
