第30話 初めての朝飯ぼったくられてました!

翌朝。

「タックミさん朝ヨ〜」

声がする。

目を開けると、ニルスがもう着替えていた。

窓の外も明るい。

昨日は田中の家から帰ったあと、少し飲んで、そのまま早めに寝た。

前の日みたいな疲れもない。

「……おはよ」

「オハヨ!」

起き上がって顔を擦る。

ニルスが上着を着ながら聞いてきた。

「なんか食い行くカ?」

「飯?」

腹は減っている。

昨日の夜から何も食ってない。

何がいいかな、と考えて。

「あ!」

思い出した。

「そうだ! イカ食いたい!」

「イカ?」

「うん! 生のやつ!」

初めてこの国に来た時に食った、あのイカ。

半透明で、こりこりして、甘かった。

思い出したら急に食いたくなった。

ニルスが笑う。

「オー、イイね! 近くの定食行くカ!」

「行く!」

◇

ニルスに連れて行かれたのは、家からそれほど離れていない店だった。

大きくはない。

でも朝から人が入っている。

作業着みたいな服の人。

年寄り。

家族らしい客。

観光客向けというより、完全に近所の飯屋だ。

店に入ると、魚の匂いがした。

嫌な匂いじゃない。

焼いた魚と、汁物の匂い。

腹が鳴る。

ニルスが店の人と何か話す。

俺の方も指さした。

「イカ、あるって!」

「やった!」

席に座って待つ。

しばらくすると、料理が運ばれてきた。

白い飯。

魚の汁。

それから、何種類かの刺身が一緒に乗った皿。

白身。

銀色の皮がついた魚。

赤っぽい身。

そして。

「イカ!」

薄く切られた半透明のイカが並んでいる。

小皿には、前にも食べた醤油に似たタレ。

少し柑橘の匂いがする。

「これこれ!」

イカをつけて食べる。

こりっ、とする。

甘い。

「うまっ!」

「朝、魚いいネ!」

「この国、魚だけは本当に強いな」

「だけ?」

「あ、いや」

「ジョーダン!」

ニルスが笑った。

刺身も食う。

飯も食う。

汁もうまい。

しばらく夢中で食べていた。

それから。

ふと、ニルスの方を見る。

昨日も泊めてもらった。

その前の晩も飯を食わせてもらった。

買い物も、酒も。

なんだかんだ、こっちへ来てからニルスにかなり世話になっている。

「……なあ」

「ウン?」

「そういえばさ」

箸を止める。

「ずっとニルスに飯出してもらってるじゃん」

「イイヨ!問題ナイヨ!」

即答だった。

「いや、いいって言われても、さすがにちょっと悪いって」

ニルスは気にしてない顔をしている。

俺は財布を思い出した。

カルヴェンの金は持っていない。

今あるのはセグルの紙幣だけだ。

「今日の飯代くらい俺出そうか? 俺、今セグルの金しかないけど……」

「セグルのお金?」

「うん。これ、セグルの金だといくらくらい?」

俺たちの前にある料理を指さす。

ニルスが皿を見る。

少し考える。

「ん〜〜〜……」

指を折るみたいにしながら、もう一度料理を見る。

「このお刺身定食なら、セグルのお金だと〜〜〜……五百タサルくらいカナ〜?」

「…………」

「?」

「五百タサル?」

「ウン。だいたいネ!」

「…………五百タサル」

何かが引っかかった。

五百。

刺身。

イカ。

魚の汁。

飯。

俺は箸を置いた。

「…………」

頭の中に、前に来た時の光景が浮かぶ。

港の近く。

布を張っただけの屋台。

古い木の台。

年配の店主。

俺はセグルの千タサル札を一枚出した。

『これ、使える?』

店主は札を見て。

それから。

俺の手元に残っていた、もう一枚を指した。

『ソレ、二まい。ゼンブならオッケ』

「…………」

二千タサル。

あの時出てきたのは。

白い飯。

焼き魚。

魚の頭と骨の汁。

それから、生のイカ。

俺は確か。

『これで二千タサルなら、観光地の割に妥当じゃん!』

とか思って。

満足して帰った。

「…………ニルス」

「ウン?」

「この国って、都市部だけめちゃくちゃ高いとかある?」

「ナイヨ?」

即答。

「……だよな」

「どうした?」

「俺さ」

嫌な予感しかしない。

「初めてこの国来た時、港の屋台で朝飯食ったんだよ」

「ウン」

「イカの刺身と、焼き魚と、魚の汁と、飯」

ニルスが頷く。

「オー。普通の朝ご飯ネ」

「二千タサル取られた」

「…………」

ニルスが止まった。

俺も止まる。

「セグルの金で」

「ニセン?」

「うん」

ニルスが少し考える。

俺の顔を見る。

「……高いヨ!」

「やっぱり!!!!」

店の中で声が響いた。

何人かがこっちを見る。

知るか。

「四倍くらいじゃん!!」

「たぶん、そのくらいネ〜」

「クソが!!!!」

思い出した。

あのジジイ。

俺の財布を見て、残ってる札まで確認して。

『ゼンブならオッケ』とか言ってた。

全部ならオッケじゃねえよ。

全部欲しかっただけじゃねえか。

「俺、めちゃくちゃ納得して払ったんだけど……」

「美味しかった?」

「めちゃくちゃ美味かった」

「じゃ、イイネ!」

「よくねえよ!!」

◇

店を出ても、まだ腹が立っていた。

「四倍……」

「タックミさん、まだ言ってるネ〜」

「言うだろ普通!」

朝飯一回で千五百タサル損した。

千五百タサル。

セグルなら普通に屋台で二回飯が食える。

しかも俺は、うまいうまいって喜んでいた。

思い出すたびに腹が立つ。

「もういい。忘れる」

「忘れる?」

「忘れたい!」

ニルスが笑った。

「じゃあ、なんか見るカ?」

「見る」

今日は仕事もない。

田中の家へ行く予定もない。

帰るまで、カルヴェンをぶらつくくらいしかやることがない。

「この辺、なんかある?」

ニルスが少し考えた。

「あー……鳳、見る?」

「鳥?」

「ウン。店あるヨ!」

「鳥の店?」

「仕事する鳳、いっぱいネ!」

仕事する鳥。

その言い方だけでちょっと気になる。

「行く」

「行こ!」

◇

ニルスについて通りを歩く。

朝の街はもうかなり動いていた。

魚籠を積んだ荷車。

貝殻の入った箱。

木箱を抱えた人。

店先で帳面を見ながら何か確認している商人。

セグルの商店街より、なんとなく数字と紙が多い気がする。

何を売るにも、何か書いてある札がくっついている。

「この国、みんな細かいよな」

「細かい?」

「値段とか、記録とか」

ニルスが頷く。

「真珠、間違えると大変ヨ!」

「まあ、あれ一個で何万スケルとかするもんな……」

昨日、一昨日と真珠を見すぎて感覚が麻痺している。

少し歩くと、通りの向こうから大声が聞こえた。

男が二人、荷車の前で言い合っている。

荷車には竹で編んだ籠が山ほど積まれていた。

片方が束を指さす。

もう片方は帳面を指さす。

何度も数え直している。

「何してんの?」

ニルスが見る。

「あー。数、違うってケンカしてるネ」

「こんだけあるのに全部数えるの?」

「数えるヨ?」

当然みたいに言われた。

「……几帳面だなあ」

何となくこの国が分かってきた。

その横を通り過ぎる。

しばらくすると、ニルスが一軒の店を指さした。

「ここネ!」

看板には鳥の絵が描いてある。

鳥というか、オウムみたいなやつ。

羽を広げて、その横に丸い粒みたいな絵まである。

「真珠?」

「ウン!」

扉を開けた。

「暑っ!」

思わず声が出た。

外は冬で、吐く息が白くなるくらい寒い。

なのに店の中だけ妙に暖かい。

むしろ暑い。

厚い上着を着たままだとすぐ汗をかきそうだ。

窓も大きい。

天井近くには何本も止まり木が渡してある。

壁際には籠。

奥にはもっと広い部屋があるらしく、鳥の声が何種類も聞こえてくる。

「なんでこんな暑いの?」

「鳳、寒いの苦手ヨ!」

「この国の鳥じゃないの?」

「南の方から来るヨ!」

なるほど。

店の中を見る。

色が派手なやつ。

灰色っぽいやつ。

嘴がでかいやつ。

小さいのもいる。

ただ、普通のペットショップっぽくはない。

籠の横に札がついている。

数字。

何かの記録。

人の名前みたいなもの。

訓練用らしい小さな箱や、色の違う札まで置いてある。

「これ、売ってるの?」

「売るのもある。仕事教えるのもあるヨ!」

「仕事って?」

「喋るヨ!」

ニルスが近くの灰色の鳳を指さした。

ヨウムっぽい。

赤い尾羽。

目だけ妙に賢そうだ。

「あ、タックミさん! この鳳、南方で訓練されてきた子ネ!」

「南方で?」

「ウン! 南方の言葉、少し喋るヨ!」

「へえ。じゃあ俺にも分かるのか」

「この鳳、古いの分かるヨ!」

「古い?」

「真珠。どっち年寄り、分かる」

「え、見ただけで?」

「ウン!」

そう言って、ニルスは嘴の横を指で示した。

「鳳、時間見るヨ」

「時間?」

言い方はざっくりしてるけど。

多分、魔法資源としてどれくらい時間が溜まってるか分かるってことだ。

俺は昨日の養殖場を思い出した。

規格外真珠。

年数が推定になってるやつ。

田中用に百個買ったやつ。

「あー……」

ようやく繋がった。

「だから真珠の国で鳥飼ってんのか」

「そうヨ!」

ニルスが嬉しそうに頷く。

店の奥から店員らしい女の人が来た。

ニルスが何か話す。

俺を指さす。

女の人が笑った。

それから、小さな皿を持ってきた。

皿の上には、真珠が三粒。

どれも同じくらいの大きさに見える。

女の人が灰色の鳳の前に置く。

鳥が首を傾けた。

一粒を見る。

次。

もう一粒。

それから、一番端の粒を嘴で軽くつついた。

「お」

店員が何か言う。

ニルスが訳す。

「これ、一番古いって!」

「マジで?」

店員は札を見せた。

俺には読めない。

でも三枚あって、それぞれ数字が違う。

一番大きい数字の札を、さっきの真珠の横に置いた。

「当たってんじゃん」

「すごいネ!」

「いや、すごい」

普通に感心した。

鳳は俺たちなんかどうでもよさそうに羽繕いを始めている。

店員がもう一度、別の粒を並べた。

今度は四粒。

鳳が見る。

「――ゴジュウ!」

「喋った!」

「ゴジュウ!」

ニルスが笑う。

「数字言うヨ!」

「五十年ってこと?」

「たぶんネ!」

店員が真珠を確認する。

それから鳳を見る。

何か言った。

鳳。

「ゴジュウ!」

店員が首を振る。

「ゴジュウ!」

また言った。

「……違うの?」

ニルスが店員に聞く。

少し話す。

「本当は三十くらいって」

「嘘ついてんじゃん!」

鳳がこっちを見る。

「ゴジュウ!」

「お前絶対分かってて言ってるだろ!」

店員がため息をついて、餌の入った小皿を見せた。

鳳の頭がぴくっと動く。

「……あ」

「この鳳、今おやつ欲しいネ」

「人間が騒ぐと餌出てくるの覚えてるじゃん」

店員も呆れた顔をしている。

でも怒ってはいない。

むしろ慣れてる。

鳳はもう一度言った。

「ゴジュウ!」

「分かったから!」

結局、店員が小さい餌を一つ渡した。

鳳は満足そうに食った。

「賢いけど性格悪いな……」

「頭いい鳳、わがまま多いヨ!」

「なんでそんな得意げなんだよ」

ニルスは笑っている。

店の奥を見ると、別の鳳の横には人が座っていた。

同じ真珠を何度か置き直している。

鳥の反応を見て、帳面に書く。

また並べる。

また書く。

「一回見て終わりじゃないんだ」

「ウン。何回も見るヨ!」

「鳥なのに信用されてないな」

「鳳も間違うヨ!」

「まあ、さっき嘘ついてたしな」

人間の計量。

帳面。

鳥の感覚。

全部合わせてやっと鑑定になるらしい。

この国、真珠一粒にどんだけ手間かけるんだ。

でも、一粒が高いんだから当然か。

店の中をしばらく見て回った。

奥には暖かい部屋があって、日が入る大きな窓まである。

止まり木。

水浴び用らしい浅い器。

遊ぶための木片や紐。

なんか、下手な人間の家より設備がいい。

「こいつら金かかりそうだな」

「高いヨ!」

「鳥も?」

「鳥も、暖房も、餌も、先生も!」

「先生?」

「教える人!」

「ああ、調教師」

仕事ができるようになるまで何年もかかるらしい。

しかも、担当する人が変わると上手くいかないこともあるという。

「鳥なのに職人じゃん」

「仕事の相棒ネ!」

その言い方が、この国では普通なんだろう。

店を出る。

外の冷気が一気に顔へ当たった。

「寒っ!」

さっきまで暑かったせいで余計に寒い。

上着を閉じる。

その時。

上から甲高い声がした。

「ギャアッ!」

反射的に見上げる。

屋根の上に、白と灰色の鳥が何羽かいる。

「…………」

見覚えがある。

「ニルス」

「ウン?」

「……あいつらも鳳?」

「ウン」

「店のやつと同じ?」

「違うヨ。あっちは泥棒」

即答だった。

「鳥に職業差あるんだ……」

屋根の一羽と目が合った。

嫌な予感がする。

鳥が首を傾げる。

俺も警戒する。

「……バーカって言わねえだろうな」

「?」

「いや、なんでもない」

鳥は何も言わなかった。

代わりに、隣の屋根へ飛んでいった。

ちょっと安心した。

「店の中だと先生で、外だと泥棒か……」

「そうネ!」

ニルスは何でもないことみたいに言う。

この国では、それで普通らしい。

◇

そのあとも、ニルスと街をぶらぶら歩いた。

特に目的はない。

店先を覗いて、知らないものがあれば俺が聞く。

ニルスが分かる範囲で答える。

ニルスがセラキア語で詰まったら、身振り手振りが増える。

それでも大体なんとかなった。

魚を干している店。

貝殻を山ほど積んだ店。

真珠じゃない普通の装飾品を売っている店。

菓子屋の前では、昨日の田中を思い出した。

「……この国、ケーキ高いんだよな?」

「高いヨ!」

「昨日あいつ、三つ食ってたな……」

「先生、ケーキ好きネ!」

「知ってる」

店の窓越しに並んだ菓子を見る。

うまそうではある。

でも値段を聞いたら腹が立ちそうなので、やめた。

昼を過ぎても、まだ歩いた。

途中で温かい飲み物を買って、道端で飲んだ。

港の方まで行くと、船が何隻も出入りしていた。

荷物を積む人。

下ろす人。

帳面を持って行ったり来たりする人。

遠くでは白い煙を吐く船まで見える。

「この国、やっぱ船多いな」

「海あるからネ!」

「まあ、そうなんだけど」

当たり前の返事に笑う。

少し前まで、カルヴェンといえば俺の中では。

寒い。

鳥がうるさい。

イモクイに食われかける。

真珠のために毎日ケツの穴を見られる。

変な大魔術師が大麻吸ってる。

そんな感じだった。

ろくでもない。

でも。

今日一日歩いてみると、普通に飯を食って、働いて、買い物して、鳥に仕事を教えて、帳面の数が違うって喧嘩している人たちがいるだけだった。

当たり前だけど。

ちゃんと、普通に人が暮らしている国だった。

「……なんだかんだ、結構楽しかったな」

「今日?」

「今日も。この国も」

ニルスが笑う。

「良かったネ!」

「イモクイ以外はな」

「イモクイも美味しいヨ!」

「食う側ならな!」

また笑った。

それから少し歩いて。

ふと、思い出した。

「……あ」

「どうした?」

「俺、明日帰るんだ」

口にしてから、少し変な感じがした。

帰りの予定があるのは、ずっと分かっていた。

チケットだってある。

でも田中に会ったり、ニルスの家に泊まったり、今日は朝から街を歩いたりしていたせいで、なんとなく忘れていた。

「明日、セグルに帰る」

「ウン」

ニルスも覚えていたらしい。

普通に頷いた。

「……もうちょっといてもよかったかもな」

言ってから、自分でも少し意外だった。

最初にこの国へ来た時は、仕事が終わったらさっさと帰るつもりだった。

今回だって、嵐の後片付けをして帰るだけのはずだった。

それが、変な日本人に会って。

ニルスと飯を食って。

酒を飲んで。

今日は普通に遊んでいる。

「帰りたくない?」

「いや。帰らなきゃ」

家賃もある。

ヴァルに仕事の金も精算してもらわないといけない。

俺の生活はセグルにある。

「でも、また来てもいいかなとは思う」

「オー!」

ニルスが嬉しそうに笑った。

「また来るヨ!」

「次は仕事じゃない時がいいな」

「イモクイ仕事あるヨ!」

「絶対やらねえよ!!」

「美味しいヨ!」

「だから食う側ならな!!」

◇

夕方、ニルスの家へ戻った。

晩飯を食って、少しだけ酒を飲んだ。

昨日みたいに遅くまでは飲まなかった。

明日は帰る。

荷物もまとめないといけない。

といっても、持ってきた物なんて大した量じゃない。

服を畳んで、財布を確認する。

田中にもらった名刺も入っている。

なくさないように、少し奥へ入れ直した。

ニルスがそれを見ていた。

「先生、電話するネ!」

「まあ、そのうちな」

「先に電話ヨ!」

「分かってるよ」

田中にも念押しされた。

勝手に来るな。

次は電話してから来い。

そこだけは忘れない。

布団に入る。

明日はセグルへ帰る。

そう考えると、少しだけ名残惜しい。

でも。

また来ようと思えば来られる。

田中の連絡先もある。

ニルスの家も知っている。

今度は、イモクイにも真珠にも関係なく来ればいい。

「タックミさん、おやすみ!」

「おやすみ」

部屋の明かりが消える。

カルヴェンで過ごす最後の夜は、何も起きなかった。

それが一番よかった。

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