第28話 カルヴェンではウジが日用品です!

「……アイム ソーリー……」

俺がそう言うと、田中はしばらく俺の顔を見ていた。

赤い目のまま。

何か言いたそうに口を開いて。

閉じる。

また開いて。

「――――」

沿岸語で、低く何か言った。

「……なに?」

田中は俺じゃなく、ニルスを見た。

今度は少し長く喋る。

ニルスが頷く。

「先生、今日もう疲れた!」

「うん」

そりゃ疲れただろうな。

俺たちと二時間くらい喋ったあとに、いきなり血まみれの患者が運び込まれてきたんだから。

「帰ってって!」

「え?」

「今日終わり! 帰る!」

「急だな!?」

田中が立ち上がった。

迷いなく玄関へ向かう。

戸を開けた。

冷たい空気が入ってくる。

そして俺たちを見る。

「……マジで帰れってこと?」

「ウン!」

ニルスも普通に立ち上がった。

「先生、今日いっぱい仕事したネ。行こ!」

「いや待て待て待て!」

俺は慌てて田中を見る。

「俺、日本人に会ったばっかなんだけど!? まだ全然話してねえぞ!」

田中が何か言った。

「なんて!?」

「明日来いって」

「じゃあいいけど!」

いいのか?

いや、いい。

明日来ていいなら今日は帰ろう。

田中はもう完全に終業した顔をしている。

床にはまだ血の跡まで残ってるし。

俺だって疲れた。

ニルスと一緒に外へ出た。

戸が閉まる。

すぐに鍵の音がした。

「閉めるの早っ」

「先生、疲れたネ〜」

「それは分かるけどさ……」

俺は白い息を吐いた。

寒い。

家の中が煙だらけだったせいで、外の空気がやけに冷たくて綺麗に感じる。

少し歩いて。

ふと気づいた。

「……なあ、ニルス」

「ウン?」

「俺、今日どこ泊まるの?」

帰りの便は一週間後。

仕事の宿舎はもう出た。

宿なんて取ってない。

完全に田中に会うことしか考えてなかった。

ニルスがきょとんとする。

「私の家来るヨ!」

「いいの?」

「イイヨ!」

即答だった。

助かった。

「じゃあ世話になる!」

「ウン! 晩ご飯買って帰るヨ!」

◇

ニルスについて歩いていくと、家が並ぶ道から少し広い通りへ出た。

店が並んでいる。

仕事場の近くで見た観光客向けの店とは違う。

肉や魚や野菜。

乾物。

日用品。

地元の人間が普通に買い物をしている商店街だった。

「何食う?」

「寒いから鍋するヨ!」

「鍋!」

いい。

それはいい。

寒い日に鍋。

急に腹が減ってきた。

まず魚屋へ入った。

店先には何種類も魚が並んでいる。

名前は読めない。

俺に分かるのは、魚だということだけだ。

ニルスはその中から、大きな白身魚を指さした。

銀色っぽい皮。

腹は白い。

顔はなんとなくタラに似ている。

店の人が手際よく切っていく。

厚い切り身。

骨のついたところも一緒に包まれた。

「これ、鍋うまいヨ!」

「へえ」

ニルスはさらに店先に吊ってあった、乾いた魚のヒレみたいなものも指さした。

「それも食うの?」

「酒!」

「酒!?」

俺の声が少し大きくなった。

ニルスが笑う。

「タックミさん、酒好き?」

「好き!」

そこは迷わない。

「じゃあ買うヨ!」

「やった!」

次は野菜。

大きな葉っぱの野菜。

太い葱みたいなもの。

白い根菜。

きのこっぽいもの。

冬だからなのか、全体的に色は地味だ。

でも鍋なら絶対うまいやつだ。

最後に小さな食料品店へ入った。

ニルスが米と酒を買う。

透明な酒が入った瓶だった。

そして。

何気なく棚から、小さな紙袋を一つ取った。

中を見た。

「…………」

乾いた小さい虫がぎっしり入っている。

見覚えがある。

「おい」

「ウン?」

「それ」

「ウジ?」

「やっぱウジなの!?」

ニルスは普通の顔で袋を持っている。

「家、少ないから買うヨ」

「普通に売ってんの!?」

「売るヨ?」

何を聞いているんだという顔をされた。

オスカーが必死に集めていたものが、米や酒の横で普通に売られている。

「これ、魔法のやつだよな?」

「ウン!安いヨ!毎日使うヨ!」

そうなのか。

あれ、日用品なのか。

俺は紙袋いっぱいの乾燥ウジを見た。

知りたくなかったような気もする。

◇

ニルスの家に着いた。

中へ入る。

明かりがついた。

電気は普通に来ているらしい。

それだけで、なんとなく安心する。

田中の家よりずっと片付いていた。

というか、田中の家が散らかりすぎていた。

「荷物ここ置いてイイヨ!」

「ありがと」

荷物を置いて、部屋を見回す。

普通の家だ。

本当に普通。

ただ。

「あれ?」

「ナニ?」

「テレビないの?」

「ナイヨ」

「ないんだ」

ロロのシェアハウスには、でかいカラーテレビまであった。

あれが普通なのかと思っていた。

よく見れば、ここにはそういう家電があまりない。

明かりはある。

台所にはガスの火もある。

でも、元いた世界の家みたいに、便利そうな機械が何でも置いてあるわけじゃない。

「テレビ高いヨ」

「あー……」

そういえばロロも、あのテレビは高いって言ってた気がする。

あっちは何人も一緒に暮らしている。

一人で買うには高くても、みんなで使うなら買えるのか。

俺は勝手に、この世界では家電が普通に揃ってるものだと思い始めていたらしい。

「タックミさん、手洗うヨ!」

「あ、うん」

言われて手を洗う。

その間にニルスは台所で米を準備し始めた。

魚の骨がついた部分を鍋へ入れる。

水。

野菜。

濃い色の調味料。

匂いを嗅いで、少し懐かしく感じた。

以前この国で食べた魚の汁にも、こんな匂いがした。

醤油っぽいやつだ。

なぜか柑橘がちょっと入ってるやつ!

「うまそう」

「まだヨ!」

「分かってるよ!」

鍋は台所のガス火にかけられた。

しばらく煮る。

魚の骨から出汁が出ているのか、部屋の中がどんどんいい匂いになっていく。

やがて鍋の下ごしらえが終わった。

ニルスがどこかから小さな卓上コンロを持ってきた。

「……それはあるんだ……」

「アルヨ?」

「いや、なんでもない」

テーブルの上にコンロ。

その上に鍋。

蓋を開けると、白い湯気が一気に上がった。

白身魚。

葉物。

葱みたいな野菜。

根菜。

きのこ。

地味だけど、めちゃくちゃうまそうだ。

「食べるヨ!」

「いただきます!」

意味は伝わらないだろうけど、これは言う。

魚を取る。

口に入れた。

「うまっ」

柔らかい。

身がほろっと崩れる。

淡白なのに、出汁を吸って味が濃い。

「これうまいな!」

「冬、いっぱい食べるヨ!」

「分かる。これは冬だわ」

米にも合う。

野菜もうまい。

寒い外を歩いたあとだから余計にうまい。

カルヴェンに来てから何回か魚を食ったけど、やっぱりこの国は魚が強い。

「酒も飲むヨ!」

「待ってました!」

ニルスが笑いながら透明な酒を小さな器へ入れた。

それから、さっき買った紙袋を開ける。

乾燥ウジを一匹つまんだ。

「……え?」

指先に乗せて、短く何か唱える。

乾燥ウジが消えた。

次の瞬間、器からふわっと湯気が上がった。

「ガス使わないの!?」

「鍋、使ってるヨ?」

「いや、そうだけど!」

ニルスが不思議そうな顔をする。

「酒、これだけ。ウジ一個、早いヨ!」

「…………」

そういう使い方なのか。

長く煮る鍋はガス。

酒一杯だけ温めるなら、乾燥ウジ一匹。

ニルスはそのまま、買ってきた乾いたヒレを卓上コンロの火で軽く炙った。

香ばしい匂いがした。

「おっ」

炙ったヒレを温めた酒へ入れる。

「これ……ひれ酒じゃん!」

「ヒレサケ?」

「俺の国にも似たのある!」

ニルスが嬉しそうな顔をした。

「同じ!」

「たぶん違うけど、だいたい同じ!」

器を受け取る。

温かい酒から魚の匂いが上がってくる。

一口。

「……うまっ!」

酒の味に、炙った魚の香りが混じっている。

鍋を食う。

酒を飲む。

また鍋。

「最高じゃん」

今日は途中まで最悪だった。

血まみれの男を押さえつけて。

田中は傷口に指を突っ込むし。

突然黙り込むし。

最後には帰れって追い出された。

でも。

今は暖かい部屋で、鍋と酒だ。

悪くない。

「なあニルス」

「ウン?」

「田中って、いつもあんな感じ?」

「あんな?」

「急に怒るし、急に帰れって言うし」

ニルスは少し考えた。

「先生、疲れると帰れ言うヨ」

「やっぱ言うんだ」

「今日いっぱい話した。人も治した。いっぱい疲れたネ」

「まあ……それはそうだな」

俺だって疲れている。

田中はあの血管を直接触って、治して、そのあと全部の傷まで処置した。

医者って聞いたらめちゃくちゃ怒ってたし。いちいちキモいって言ってたし、たぶん嫌なんだろう。

「でも明日は行く」

「ウン!」

まだ聞きたいことが山ほどある。

日本のこと。

この世界のこと。

女神のこと。

十一年もここにいるなら、俺の知らないことをいくらでも知ってるはずだ。

鍋を食べ終わる頃には、腹いっぱいになっていた。

酒も入って気分がいい。

ニルスが卓上コンロの火を消した。

片付けを始める。

「なんか手伝う?」

「大丈夫ヨ!」

「じゃあ座ってる」

「ウン!」

遠慮なく座る。

しばらくして、ニルスが戻ってきた。

「お茶飲む?」

「飲む」

酒のあとに温かい茶。

いいじゃん。

ニルスはカップに水を入れた。

俺は何気なく見ていた。

さっき買った紙袋を開ける。

乾燥ウジを一匹つまむ。

「……またそれかよ」

「ウン!」

指先に乗せて、短く何か唱える。

乾燥ウジが消えた。

次の瞬間。

カップから湯気が上がった。

「お茶だけデショ?」

「……もう分かったよ」

どうやらこの家では、本当にこういう使い方が普通らしい。

「便利だな……」

「便利ヨ!」

「便利だけどウジなんだよな……」

ニルスはもう聞いていなかった。

自分の分も同じように温めている。

二匹目が消えた。

「お前らウジめっちゃ使うな……」

「普通ヨ?」

またその顔だ。

俺は湯気の上がる茶を受け取った。

普通に温かい。

普通にうまい。

燃料がウジだったこと以外は。

ロロの家にはテレビがあった。

大きな冷蔵庫もあった。

何人もで暮らして、便利なものを一緒に使っている。

こっちは家電が少ない代わりに、必要な時だけ小さな魔法を使う。

同じ便利でも、やり方が全然違うらしい。

「面白いな」

「ナニが?」

「いや。国が違うと生活も違うんだなって」

ニルスはよく分からない顔をしたあと、笑った。

「タックミさん、明日もっと見るヨ!」

「明日は田中だろ!」

「田中先生も見るヨ!」

「見るってなんだよ」

俺も笑った。

ニルスは寝る場所まで用意してくれた。

暖かい寝具に潜り込む。

酒が残っているせいか、すぐ眠れそうだった。

田中。

東京大学。

十一年。

超記憶。

医者じゃないのに、人を治す大魔術師。

分からないことだらけだ。

明日は、もっとちゃんと話そう。

今度こそ。

英語じゃなくて。

ニルスに通訳してもらって。

俺は目を閉じた。

今日はもう、ウジのことは考えないことにした。

タイトルとURLをコピーしました