「……分かった、と」
猫系の店員が訳した。
南方人は鼻で笑った。
「いいだろう」
「やってやる!」
店員が北方語で伝える。
北方人の男が短く答えた。
その瞬間だった。
「決闘にゃ!!」
誰かが叫んだ。
「決闘にゃ〜!!」
「やったー! 北方決闘にゃ!」
「本物にゃ〜!」
「えっ」
さっきまで飯を食っていた獣人たちが、一斉に立ち上がった。
「誰か混血さんいるにゃ!? 契約できる混血さんにゃ〜!」
「あ、私、混血です〜。担当できますよ〜」
少し離れた席から、女の獣人が手を上げた。
「お願いしますにゃ! 忙しいにゃ! 忙しいにゃ〜!♡」
猫系の店員が走る。
「そっちの卓どけるにゃ!」
「皿先に下げるにゃ!」
「酒こぼれてるぞ!」
「踏むから拭け拭け!」
何が始まったんだ。
いや、決闘が始まるんだけど。
なんでみんなこんなに嬉しそうなんだ。
客まで手伝って長い卓を持ち上げ、端へ運んでいく。
牛の獣人が一人で二つの卓をずらした。
店員は料理と酒を回収している。
さっきまで普通の飲食スペースだった場所の真ん中が、あっという間にぽっかり空いた。
「たっくん、決闘にゃ〜♡」
ロロの耳がぴんぴん動いている。
「見れば分かるよ!」
「珍しいにゃ〜♡」
「珍しいならもっと警戒しろよ!」
ダグは普通に煮込みを食べ終えた。
「場所を空けた方がいい」
「お前まで慣れてるの!?」
俺たちも人の輪の外側へ下がった。
さっき手を上げた混血の女が中央へ出る。
食事中だったらしく、片手にはまだ串が一本残っていた。
それを近くの店員に預けると、急に声が真面目になった。
「では確認します」
周りの騒ぎが少し静まった。
「決闘申込者は北方共同体に属する者で間違いありませんね」
北方人の男が頷く。
猫系の店員が横で南方語に訳す。
「決闘受諾者は、本人の自由意思でこの決闘を受けますね」
「当然だ」
南方人が答えた。
「武器の使用は禁止。勝敗は降参、または意識を失った時点で決します。勝敗確定後の攻撃は禁止。死亡させた場合、決闘によって得る権利は失われ、死亡については別に責任を負います」
そこだけ妙にちゃんとしていた。
さっきまで『決闘にゃ〜!』って騒いでた連中まで黙って聞いている。
「武器を外してください」
北方人は何も言わず、腰へ手をやった。
鞘ごとナイフを外す。
地面へ置く。
反対側から、もう一本出てきた。
「二本!?」
誰も反応しない。
俺だけかよ。
男はさらに毛皮の上着を脱いだ。
そこで、南方人の顔が少し変わった。
俺にも分かった。
小さい。
高校生くらいにしか見えない。
でも、毛皮の下から出てきた身体は、全然ガキじゃなかった。
首が太い。
肩から背中まで、妙に詰まっている。
腕も細くない。
南方人が、相手の身体を上から下まで見る。
さっきまでの余裕が、一瞬だけ消えた。
北方人は気にした様子もない。
脱いだ上着の中を探る。
ごろん。
金属の道具が地面へ転がった。
ペンチだった。
「なんでペンチ持って祭り来てんだよ!?」
北方人が俺の方を見た。
たぶん何を言っているのかは分かっていない。
そのまま南方人を指す。
何か言った。
店員が訳す。
「掛ける物を決める、と」
混血の女が頷く。
「申込者側、希望をどうぞ」
北方人は南方人の口元を指した。
それから、高そうな服を上から下まで眺める。
短く言う。
店員が一瞬だけ黙った。
「……前歯二本と、身ぐるみ全部が欲しいそうです」
「は?」
南方人が聞き返した。
俺も聞き返したかった。
混血の女は平然としている。
「前歯二本、および現在身につけている私物一式ですね」
「前歯!?」
俺の声が混じった。
周りから歓声が上がる。
「前歯二本にゃ〜!」
「おお〜!」
「兄ちゃんは何取るにゃ!?」
なんで盛り上がるんだよ。
南方人の顔が赤くなった。
周りに見られているせいか、引く気はないらしい。
「……同じだ」
「え?」
「俺も同じでいい。そいつの前歯二本と、身につけている物全部だ」
店員が北方語へ訳す。
北方人はすぐ頷いた。
混血の女が二人を順番に見る。
「双方、前歯二本と現在身につけている私物一式。これで合意ですね」
二人とも頷いた。
「変更はありませんね」
もう一度確認する。
また頷く。
「では武器がないことを確認します」
身体と衣服を確認される間も、北方人は大人しく両腕を上げていた。
ナイフを使えないことに文句を言う様子もない。
最初からそういう決まりだと知っている顔だった。
南方人の確認も終わる。
混血の女が一歩下がった。
「両者、準備はいいですね」
南方人は腕を上げた。
北方人は、構えなかった。
さっきまで酒を飲んでいたせいか、少し頬が赤い。
「ひっく」
しゃっくりを一つして、ぼさっと立っている。
周りの獣人が、一斉に前のめりになる。
ロロまで俺の隣でぴょこっと背伸びした。
「始め」
北方人は、ふらっと一歩前へ出た。
酔っているのか、少しよろめく。
そのまま、ぼさっとした足取りで南方人へ近づいていく。
南方人は構えたまま、訝しそうに見ている。
次の瞬間。
北方人の脚がいきなり跳ね上がった。
「うっ!?」
南方人の身体が折れた。
股間だった。
「そこありなの!?」
周りから歓声が上がる。
「入ったにゃ〜!」
「おおー!」
「立て立てー!」
南方人は膝をついた。
顔を真っ赤にして、それでも北方人を睨む。
混血の女が声をかけた。
「降参しますか」
「するか……!」
答えた瞬間、北方人が近づいた。
南方人が立ち上がろうとする。
その肩を蹴られて、また床へ転がった。
「おいおいおい!」
誰も止めない。
北方人は倒れた相手の髪を掴んだ。
持ち上げる。
床へ叩きつける。
一度。
南方人が腕を伸ばす。
まだ降参しない。
もう一度。
「降参! 降参する!」
北方人の手が、ぴたりと止まった。
本当にその瞬間だった。
それ以上は何もしない。
髪から手を離し、すぐに二歩下がった。
「勝敗確定!」
混血の女が声を上げる。
「おおおおおお!」
周りが沸いた。
「北方さんつよいにゃ〜!」
「早かったにゃ!」
「兄ちゃん酒追加するにゃー!?」
さっきまで殴り合ってたのに、もう祭りに戻ってる。
南方人は床に座り込んだまま、股間を押さえて息をしていた。
猫系の店員が様子を確認している。
北方人は、自分が地面に置いた物のところへ戻った。
ナイフではない。
ペンチを拾った。
「……まさか」
嫌な予感がした。
北方人が南方人の前へしゃがむ。
南方人もペンチを見る。
顔色が変わった。
「待て」
混血の女が契約内容を確認する。
「前歯二本と、現在身につけている私物一式です」
「待て待て、本当に今抜くのか!?」
俺が言った。
ダグがこっちを見る。
「契約したからな」
「そういう問題!?」
ロロは俺の横で南方人を見ている。
「痛そうにゃ〜」
「そこは普通なんだ!?」
北方人が南方人の口元を指した。
店員が短く訳す。
「口を開けろ、と」
「嫌だ!」
南方人は反射的に口を閉じた。
北方人の眉が寄った。
何か、低い声でぼそっと言う。
店員が一瞬だけ言いにくそうな顔をした。
「……こいつ、男じゃねえな、と」
「今それ言う!?」
北方人は面倒そうに息を吐いた。
それから南方人の顎を片手で掴む。
「や、待て!」
顔を背けようとする南方人を押さえつけ、その口を無理やりこじ開けた。
さっきまで酔ってふらついていたくせに、腕はびくともしない。
ペンチが前歯にかかる。
「うわ、見るの無理!」
俺は顔を背けた。
直後。
「ぐああああああっ!!」
悲鳴が響いた。
周りから、なぜか拍手が起きた。
「一本にゃ〜!」
「数えるな!」
もう一度悲鳴。
「二本にゃ〜!」
「だから数えるなって!」
振り返ると、北方人は満足そうでも怒っている様子でもなかった。
ただ契約通りの物を受け取った、という顔だった。
抜いた前歯を二本まとめて自分の荷物の横へ置く。
その横では、混血の女と店員が南方人の身につけている物を一つずつ確認していく。
上着。
シャツ。
靴。
ベルト。
装飾品。
財布まで、契約通り北方人の側へ積まれていく。
最後に残った下着も渡される。
北方人は受け取った物を一通り確認した。
それから下着だけ、端を指先でつまんで持ち上げる。
少し見た。
何か言った。
店員の顔が微妙になった。
「……これは、贈り物にしてやる、と」
「は?」
南方人が口元を押さえたまま顔を上げる。
店員は嫌そうに続けた。
「小便がついてるから、いらないそうです……」
北方人が下着を南方人へ放った。
「お前が漏らさせたんだろ!!」
俺が叫ぶ。
店員が律儀に北方語へ訳した。
北方人は一瞬きょとんとしてから、大声で笑った。
何か返す。店員が訳す。
「……だからいらない、と」
「そういうことじゃねえよ!」
仲間の北方人たちまで笑い出した。
勝った男はもう南方人に興味をなくしたらしい。
前歯二本と戦利品をまとめて持つと、そのまま元の卓へ戻り何か嬉しそうに叫ぶ。
猫系の店員が、何事もなかったみたいに酒を出した。
南方人は投げ返された下着を握って、口元を押さえながら呆然としていた。
俺はダグを見る。
「……これ、元は『うるさい』って文句言っただけだよな?」
「ああ」
「北方怖すぎるだろ……」
ダグは少し考えた。
「死んでないだろ」
「比較対象がおかしいんだよ!」
少しすると、さっきまで空けられていた卓も元の位置へ戻り始めた。
北方人たちはもう元の席で酒を飲み直している。
何かを思い出したらしく、一人が南方人の悲鳴を真似した。
仲間が一斉に笑う。
本当にもう終わった話らしい。
「たっくん、あっち行くにゃ〜♡」
ロロが俺の袖を引いた。
「切り替え早すぎない?」
「決闘終わったにゃ?」
「終わったけどさ!」
ダグも普通についてくる。
俺だけがおかしいみたいじゃないか。
◇
少し歩くと、炭火の匂いが強くなった。
大きな鉄板の上で、分厚い肉がじゅうじゅう音を立てている。
看板には竜の尾元、とある。
「尾!?」
思わず足が止まった。
輪切りというより、もう普通の分厚い肉の塊だった。
三人で一皿買って、近くの立ち食い卓を囲む。
俺が一切れ口に入れる。
表面は炭で香ばしい。
中は思ったより柔らかくて、噛むと濃い肉の味が出た。
少し脂もある。
「うっっま!」
さっきまで前歯がどうとか言っていたのが一瞬でどうでもよくなった。
「おいしいにゃ〜♡」
ロロが尻尾を揺らす。
ダグも一切れ食べて頷いた。
「尾は外れないな」
「ドラゴンの尻尾ってこんなうまいの!?」
そのまま次の屋台へ行く。
今度は薄く切った肉を網の上で炙っていた。
「竜舌だな」
ダグが言った。
「舌!?」
今日は竜の変なところばっかり食ってる気がする。
でも、もう買うしかない。
また一皿だけ買って三人で分けた。
薄いのに、噛むとむっちり弾力がある。
尾とは全然違う。
「これも普通にうまいな……」
「舌おいしいにゃ♡」
「お前、何でも食うな」
「たっくんも食べてるにゃ〜♡」
「それはそうだけど!」
ダグが最後の一枚を食べる。
「竜は部位でかなり味が違う」
「もっと早く教えてよ!」
「聞かれなかったからな」
またそれか。
さすがに少し腹も膨れてきた。
俺たちは屋台の列を抜けて、大きな広場へ出た。
広場の端には座れる場所が並んでいて、三人で腰を下ろす。
ちょうど向こうから、でかい竜の山車がやってきた。
木と布で作られた竜が、何人もの獣人に引かれてゆっくり進んでいる。
頭だけでも人の背丈よりずっと大きい。
口が開くたび、子供たちが歓声を上げた。
「おお……!」
俺も思わず身を乗り出した。
「ドラゴンだ!」
「竜さんにゃ〜♡」
ロロが隣で尻尾を揺らす。
山車の後ろには、昔の格好らしい獣人たちが続いていた。
毛皮を着た人間も混じっている。
手には作り物の槍や斧。
みんな笑いながら竜の山車を追いかけている。
「……あれ何?」
俺が聞くと、ダグが山車を見たまま答えた。
「昔の再現だ」
「昔?」
「この国ができる前だ」
「え」
俺はダグを見る。
「この祭りって、ただ竜肉食う祭りじゃないの?」
ロロが横から言った。
「竜肉いっぱい食べるお祭りにゃ〜♡」
「お前はたぶん俺と同じくらいしか知らないな!?」
ダグは気にせず続けた。
「昔、南方から逃げた獣人たちが、北方人に頼んだ」
「何を?」
「竜を倒して、自分たちの土地を作りたい、と」
「え」
思っていたより、ずっと話がでかい。
「北方人は契約して力を貸した。それで、建国する予定の土地にいた竜を一緒に倒した」
山車の後ろを歩く毛皮姿の人間たちを見る。
さっきの連中と同じ北方人を真似ているんだろう。
「だから北方人もいるのか」
「ああ」
ダグは続けた。
「討伐の直後、逃げてきた獣人たちには、まとまった食い物がほとんどなかった。竜肉だけは大量にあった」
「……それ食ったの?」
「ああ。食わなきゃ働けなかったからな」
ダグらしい答えだった。
「労働種が竜肉を食って、翌日も働いた。堀を掘って、壁を作った。」
「それで、ここが国になったのか」
「そうだ」
「……それが、この祭り?」
「ああ」
俺は広場を見回した。
串を持って走る子供。
酒を飲んで笑っている北方人。
肉を焼く煙。
巨大な竜の山車。
ついさっきまで、俺も尻尾だの舌だの言って喜んで食っていた。
ダグが静かに言った。
「昔は、食うものがなくて竜を食った」
少し間を置く。
「今は、食いたくて竜を食ってる」
「……」
「いいことだろ」
俺はもう一度、祭りの広場を見た。
「……まあ、そっちの方がいいな」
「ああ」
その横でロロが山車に手を振っている。
「竜さん行っちゃうにゃ〜♡」
なんか、こいつだけ最後まで普通に祭りを楽しんでるな。
それからもしばらく、三人で広場に座って山車を眺めていた。
次の竜が通るたびにロロが耳をぴんと立てる。
俺も最初は見ていたけど、さすがに腹がいっぱいだ。
串に、尻尾に、舌。
今日はもう十分ドラゴンを食った。
「たっくん、あっちにも竜肉あるにゃ〜♡」
「もう入らないよ!」
「僕まだ食べられるにゃ♡」
「どこに入ってるんだよ……」
ダグが小さく笑った。
しばらくして、山車の列も遠くなった。
俺たちも立ち上がる。
祭りはまだ続いている。
屋台の煙も、人の声も、音楽も、全然静かになる気配がない。
大きな通りまで戻ったところで、ダグが足を止めた。
「俺はこっちだ」
「あ、じゃあここで解散か」
「ああ。またな」
「おう。またな」
ロロがダグへ手を振る。
「ダグ、またにゃ〜♡」
ダグも片手を上げて、そのまま人混みの向こうへ歩いていった。
「たっくんも帰るにゃ?」
「うん。さすがに今日は疲れた」
「僕も帰るにゃ〜♡ 楽しかったにゃ♡」
「俺も楽しかったよ」
「また遊ぶにゃ♡」
「うん、またな」
ロロの尻尾が大きく揺れた。
「ばいばいにゃ〜♡」
「ばいばい」
ロロも人混みの中へ消えていく。
一人になって、俺は自分の部屋へ向かった。
背中の方では、まだ祭りの声が聞こえている。
竜肉はうまかった。
北方人は怖かった。
祭りは、楽しかった。
今日はそれでいい。
