祭りから数日。
肩はまだ少し痛むけど、仕事できないほどじゃない。
俺はまた、ヴァルの事務所にいた。
「仕事をくれ」
机の向こうで、ヴァルが書類から顔を上げた。
「またですかにゃ♡」
「またって何だよ。働きに来てるんだから偉いだろ」
「自分で言いますかにゃ〜?」
「言うよ」
祭りは楽しかった。
竜肉もうまかった。
でも、楽しかったからって家賃も借金も消えてはくれない。
俺には定職がない。
金が必要なら、その都度仕事を取るしかない。
ヴァルは何枚か書類をめくった。
「短期でしたら、ちょうど一件ありますにゃ」
「何?」
「カルヴェンですにゃ♡」
「……また沿岸国か〜」
一瞬、山の景色が頭に浮かんだ。
雪。
人食い鳥。
腹を狙ってくる嘴。
肩が痛くなった気がした。
「先に言っとくけど、山は嫌だからな」
「山ではありませんにゃ」
「ほんと?」
「海沿いですにゃ。真珠貝の養殖場ですにゃ♡」
「真珠?」
急に高そうな単語が出てきた。
ヴァルが一枚の書類を俺の前へ滑らせる。
数日前の嵐で、養殖場の設備がかなり壊れたらしい。
切れた縄。
流された籠。
死んだ貝。
それを回収して、使えるものと駄目なものを分ける。
「それだけ?」
「それだけですにゃ」
「鳥とかいない?」
「鳥はいるでしょうにゃ」
「そういう意味じゃない!」
「人を食べる鳥を駆除する仕事ではありませんにゃ♡」
よし。
海。
貝。
片付け。
これなら大丈夫だ。
「やる」
「まだ説明の途中ですにゃ」
「山じゃないなら平気だろ」
「佐藤さんは前にも似たようなことを言ってましたにゃ」
「今回は貝だぞ!?」
貝に襲われるわけがない。
それにカルヴェンなら、あれがある。
白い飯。
焼き魚。
魚の汁物。
それから、あの透き通ったイカ。
「そうだ! この前食ったイカ、また食えるじゃん!」
「仕事の話を聞いてくださいにゃ」
「聞いてるよ。海沿いだろ?」
「全寮制ですにゃ」
「え?」
「契約期間中は養殖場の宿舎に入ってもらいますにゃ♡」
「なんで?」
ヴァルが書類の一か所を指した。
「真珠の盗難防止ですにゃ」
「ああ……」
言われてみれば、そりゃそうか。
真珠なんて小さい。
一個ポケットに入れられたら分からなそうだ。
「食事と寝床は向こう持ちですにゃ。作業着も貸し出されますにゃ」
「じゃあ金使わなくていいじゃん」
「そうですにゃ」
「いい仕事じゃん!」
イカを食いに出られるかは分からなくなったけど、飯と宿が出るなら悪くない。
終わってから食えばいい。
ヴァルは俺の浮かれた顔を見ながら、書類をもう一枚出した。
「それから、盗難防止のため毎日終業時に検査がありますにゃ」
「検査?」
「身体と持ち物ですにゃ」
「別にいいよ。盗まないし」
「契約期間中に盗難が確認された場合の処置も書いてありますから、ここは読んでくださいにゃ」
「はいはい」
「はいは一回ですにゃ♡」
腹立つ。
俺は書類を受け取った。
今回は本当に、ただの力仕事だ。
海で貝を拾うだけ。
山じゃない。
人食い鳥もいない。
今度こそ、普通に働いて帰ってこられる。
◇
カルヴェンへ来るのは二度目だった。
前ほど何もかも珍しくはない。
乗り継ぎも、前に通った場所は何となく覚えていた。
港へ近づくと、潮の匂いが強くなる。
「イカ……」
食いたい。
でも今回は、着いてすぐ養殖場の人間にまとめて連れていかれた。
宿舎は海の近くだった。
二階建ての大きな建物で、部屋には簡単な寝台が並んでいる。
作業員は俺だけじゃない。
嵐の後だから、とにかく人手を集めているらしい。
到着すると、最初に持ち物を一つずつ確認された。
財布。
服。
靴。
細かい私物まで記録される。
「徹底してんな……」
何を言っているのか分からない担当者が、紙を指して俺に確認を求める。
俺は名前を書いた。
その後、厚手の作業着と長靴を渡された。
海沿いなら山より暖かいと思っていた。
間違っていた。
「寒っ!!」
風が冷たい。
海から吹いてくる風が、容赦なく作業着の隙間へ入ってくる。
水しぶきまで飛んでくる。
しかも臭い。
「くっさ!!」
死んだ貝が臭い。
泥も臭い。
海水も生臭い。
壊れた養殖設備から籠を引き上げる。
中身を運ぶ。
貝を分ける。
使える道具をまとめる。
壊れたものを別へ運ぶ。
それを延々繰り返す。
重い。
寒い。
臭い。
「……きつい」
でも。
何も襲ってこない。
鳥が上を飛んでも、普通の鳥だ。
貝も動かない。
地面から猪も出てこない。
「普通にきついだけだ……!」
ちょっと感動した。
隣で作業していた男が、俺を見た。
何か沿岸語で言う。
「分かんない」
俺が首を振ると、男は少し考えてから、たどたどしいセラキア語に切り替えた。
「キツイ、好き?」
「好きなわけないだろ!」
男が笑った。
「私、セラキア語、勉強中ネ」
「へえ」
「南方人、いっぱい来る。商売、便利」
なるほど。
港ならそういう奴もいるのか。
それから、休憩や作業の合間に何度か話すようになった。
俺のセラキア語は普通に通じる。
向こうは片言。
だから会話は遅い。
でも、何日か同じ場所で働いていると、それなりに話すことは増えた。
名前を聞いた。
「ニルス」
短くて覚えやすい。
向こうも俺の名前を聞いた。
発音しにくいらしく、結局ニルスはずっと「タックミさん」と呼んでいる。
◇
初日の仕事が終わった。
身体中が潮臭い。
腕も重い。
でも無事だ。
俺はちょっと機嫌がよかった。
宿舎へ戻る前、作業員が一列に並ばされた。
「ああ、検査か」
契約書にあったやつだ。
財布も道具も預け、順番を待つ。
前の奴が小さな部屋へ入っていく。
少しして、反対側から出てくる。
俺の番になった。
中へ入る。
検査担当者が俺を見て、手振りをした。
服を脱げ、という意味らしい。
「……全部?」
もう一度手振り。
「全部!?」
契約書に身体検査と書いてあった。
作業着も確認するとは聞いていた。
でも。
俺は全部脱がされた。
耳の裏。
口の中。
指の間。
髪。
足の裏。
そこまでは分かる。
最後に担当者が、俺の後ろを指した。
「……え?」
もう一度指す。
意味が分かった。
「そこまで!?」
当然、通じない。
確認された。
尻の穴まで。
「真珠そこに隠す奴いるの!?」
担当者は無表情だった。
検査が終わる。
俺は服を着た。
外へ出ると、ニルスが待っていた。
「タックミさん、初めて?」
「初めてだよ! 何で尻の穴まで見られんの!?」
ニルスは普通に頷いた。
「昔、盗む人、多かったネ」
「そこに!?」
「真珠、小さい思う。隠す」
「もっと別の場所に隠せよ!」
いや、盗むな。
順番がおかしくなった。
「毎日これやるの?」
「毎日ネ」
「マジかよ……」
人食い鳥はいない。
その代わり、毎日尻の穴を見られる。
安全って何だ。
◇
二日目。
朝からまた貝を運んだ。
臭い。
寒い。
重い。
昨日と同じだ。
昼前、少し離れたところで妙な歩き方をしている男が目に入った。
腰が悪いわけでもなさそうなのに、動きが妙に固い。
「何あれ」
隣にいたニルスへ聞く。
「あの人?」
「うん。怪我?」
ニルスは首を振った。
「真珠、盗んだ」
「え?」
「一回、見つかった」
「じゃあクビじゃないの?」
「今、人足足りないネ。働く。でも、また隠す困る」
ニルスが、自分の尻のあたりを指した。
嫌な予感がした。
「……何?」
「お尻、フタする!」
「何それ」
「アー…栓カナ?」
「……栓?」
「契約中、一回でも盗む。満期まで、仕事中つけるネ」
俺はもう一度、遠くの男を見る。
妙に動きが固い。
「あいつ今、ケツに栓されて働いてんの!?」
「ウン」
「どういう変態プレイなの!?」
「ヘンタイ?」
「いや、いい!」
説明したくない。
「盗まない人、アレしないヨ」
「そりゃそうだけど!」
理屈は分かる。
分かるけど、納得したくない。
あの男も、最初に一回見つかった時点で諦めればいいのに。
「何で盗むんだよ……」
「高いからネ」
「その結果があれだぞ」
「でも盗む人いる」
馬鹿はどこの世界にもいるらしい。
◇
昼の休憩。
俺は宿舎から持たされた飯を食べながら、片言の男と並んで座っていた。
海は近い。
風は冷たい。
「この国って、魚うまいよな」
「魚、好き?」
「好き。この前ここ来た時、イカ食ったんだよ。生のやつ」
「イカ、普通ネ、いっぱいいるヨ」
「普通なの!?」
あれが普通に食えるのか。
羨ましい。
「俺のとこ、あんまり生のイカないんだよな」
「タックミさんの地元、南方?」
「いや」
答えてから、少し考えた。
南方じゃない。
獣人国でもない。
「まあ……もっと遠い」
「遠い?」
「遠いよ。めちゃくちゃ遠い」
今頃、日本はどうなってるんだろう。
コンビニ。
スマホ。
風呂。
布団。
こっちに来てから、変な仕事ばっかりしている。
猪に噛まれた。
人食い鳥に食われかけた。
今は真珠泥棒対策で毎日尻の穴まで見られている。
「はあ……異世界なのに、何で俺こんなことしてんだろ」
隣の男が止まった。
「イセカイ?」
「ん?」
「何? 私、南方語勉強中ネ。教えて」
「あー……」
どう説明すればいいんだ。
「別の世界、的な?」
男が目を丸くした。
「オーーーー……」
妙に長い。
それから、俺の顔をじっと見た。
「タックミさん、辛い事アッタネ?」
「は?」
「私の地元、同じ妄想いう人イマス!」
「妄想じゃねーよ!」
思わず声が大きくなった。
男は驚いて肩をすくめた。
「ほんとなんだよ! 俺は別の世界から来たの!」
「ウンウン」
「その顔やめろ!」
完全に可哀想な奴を見る目だった。
もういい。
俺は飯を食う。
「別に信じなくていいよ」
「タックミさん」
「何」
「でもネ」
男がちょっと明るい顔をした。
「地元のビョーキの人、スゴイですヨ!」
「……病気の人?」
「ウン。よく泣く。目、いつも赤い」
それはだいぶ心配な人じゃないか。
俺は興味をなくして飯へ戻った。
「でも魔法、スゴイ!」
箸が止まった。
「何?」
「大魔術師ネ!」
「……大魔術師?」
「紅眼の大魔術師って呼ばれてます!」
俺は顔を上げた。
「大魔術師!?」
「ウン!」
「会いたい!」
即答だった。
カルヴェンの大魔術師。
しかも二つ名持ち。
紅眼。
絶対かっこいい。
「どこにいるの!? 近い!?」
「私の地元。ここから、そんな遠くないヨ」
「仕事終わったら行こう!」
言ってから、気づいた。
帰りの便。
契約が終わる日に、俺たち作業員はまとめて港まで送られる。
そこから帰る船も決まっている。
「……待って」
「何?」
「俺、仕事終わったらそのまま帰るんだけど」
「ウン」
「会いに行く時間ないじゃん!」
「ウン」
「どうすんだよ! 大魔術師だぞ!?」
ニルスは不思議そうに俺を見た。
「社長サンとか、電話すれば?」
「…………」
電話。
「電話あんの!?」
