「まず天然歯から回収させていただきます」
「……歯?」
「あなたの歯でしたら、前歯を数本残し、それ以外をすべていただければ清算できます」
男は机の引き出しから別の用紙を取り出した。
「提携施術所でしたら、本日の午後にも抜歯可能です。麻酔はなされますか?」
「当たり前だろ!」
「承知しました。ただし、麻酔は有料となります」
「そこまで別料金なのかよ!?」
「現金をお持ちでない場合は債務へ加算しますので、残す予定の前歯から、もう一本追加でいただく計算になります」
「麻酔代まで歯で取るのか!?」
「返済資源を少しでも多く残したいという理由で、麻酔を希望されない方もいらっしゃいますよ」
男は、天気の話でもするような口調で答えた。
「待て待て待て! 歯を抜くくらいなら働いて返す!」
「もちろん可能です。ただ、あなたが今の身分でできる日雇い労働で返済なさると、利息の方が大きくなりかねません」
男はそこで声を落とし、親切そうに身を乗り出した。
「運がいいことに、あなたは若い人間男性です。隣国の獣人国なら、短期間で返済できる高収入の仕事がありますよ」
◇
見せられた案内冊子には、『獣人国セグル』の文字とともに、犬や猫の耳を生やした美男美女が並んでいた。
牛や馬の獣人はさらに動物っぽく、全身が毛に覆われ、顔もほとんど牛や馬そのものだった。身体つきは人間に近く、皆服を着て笑っている。
「獣人国では、人間との交流を希望する方が非常に多いのです。特に、あなたのような健康な人間は希少です」
「猫耳の女も?」
「もちろん大勢いますよ」
「俺みたいな男が人気になるのか?」
「間違いなく」
男は一度も嘘をつかなかった。
人間は希少。需要は高い。短期間で返済可能。猫耳の女も大勢いる。
俺の頭の中では、異世界生活の光景が一気に完成していた。
猫耳美少女たちに囲まれ、珍しい人間として歓迎される。少し働くだけで借金を返し、余った金で酒と肉を買う。顔は女神に整えてもらったし、身体も丈夫だ。
これこそ俺が求めていた異世界生活だ。
「行く」
「即決なさいますか?」
「獣人国へ行く!」
渡航費と就労仲介費が借金へ追加されると説明されたが、向こうで稼げばすぐに返せるらしい。
新しく出された書類へ、俺は迷わず署名した。
◇
翌朝、俺は国境へ向かう乗合馬車に乗せられた。
城門を抜けて乾いた平原を二日走り、途中から運河船へ乗り換える。
セグルへ近づくにつれ、運河沿いの道はかえって広くなった。運河沿いには倉庫と工房が切れ目なく並び、大きな荷船が何隻も行き交っている。
国境の検査場に掲げられた看板も、何の苦労もなく読めた。
「渡航証と就労証明書を提示してください」
牛の角を持つ係員の言葉も、普通に理解できる。
国を越え、話している相手が人間から獣人に変わったのに、言葉はまったく変わらない。
「おお、言語チートじゃん!」
チートなんてないと言いながら、実は一番必要な能力をこっそり付けてくれていたらしい。
「女神様、口と態度が悪いだけで、やっぱりマジの女神だったんだな……」
思い返せば顔もものすごく良かった。
煙草を吸いながら机に足を乗せていた姿も、今になってみれば少しエロかった気がする。
「ちょっと好きになってきたかもしれない」
次に会えたら、口説いてみよう。
俺はそんなことを考えながら、検査場を抜けた。
その途端、街の光景が変わった。
人間より頭二つほど大きな牛の男たちが、何人がかりでも動かせそうにない荷箱を一人で担いでいる。馬の女が荷車を引き、犬の耳を持つ青年が行き先を指示していた。
通りの両側には屋台が並び、肉、米、麺、パン、果物、見たことのない菓子まで売られている。獣人たちはそれぞれ好きな料理を買い、道端の長椅子や広場の卓を囲んで食べていた。
そして、本当にいた。
猫耳の女たちだ。
耳だけではない。髪と同じ色の尾が腰の後ろで揺れ、どの女も不自然なほど顔が整っている。犬耳の女も、狐耳の女もいる。
しかも、何人もこちらを見ていた。
猫耳の女と目が合う。
彼女は驚いたように耳を立て、隣の女へ何か囁いた。二人でこちらを見て、楽しそうに笑っている。
俺は確信した。
女神は間違っていた。
イケメンで丈夫な身体は、十分すぎるほどチートだ。
反対側から犬耳の男も熱心に見つめていたが、それは珍しい人間を見ているだけだろう。気にしなかった。
◇
紹介状に記された会社は、運河沿いの商業区にあった。
『ヴァルグレン契約代行社』
磨かれた石造りの建物には大きな窓が並び、中では大勢の獣人が書類を抱えて行き交っている。
ヴァルグレン。
名前からして、絶対に強い。
「ヴァル」に「グレン」だ。濁った音が二つも入っている。ファンタジーなら、雪山の砦で巨大な斧を担いでいる戦士に決まっている。
獣人だというから、おそらく狼か熊だろう。
身長は二メートルを超え、顔には大きな傷。丸太のような腕で、借金を返せない人間の首くらい簡単にへし折る。
俺は勝手にそんな男を想像し、震えながら、応接室で待っていた。
やがて、扉が開いた。
「遠路はるばる、お疲れさまでしたにゃ♡」
入ってきたのは、想像とは正反対の男だった。
年齢は俺より少し上だろうか。身体は細身だが、背が高い。
というか、俺より十センチ以上でかい!
俺は百七十五センチもあるんだぞ! 決して低くない! それなのに、こいつの隣に立ったら俺が普通に小さく見えるじゃないか! 顔だけじゃなく身長まで盛るな!
赤金色の髪から大きな狐耳が伸び、腰の後ろでは、よく手入れされた太い尾が揺れている。
仕立てのいい濃紺の服を着た、涼しげな美青年だった。
「ヴァルグレン契約代行社の代表、ヴァルグレンですにゃ。ヴァルでいいですにゃ♡ よろしくお願いしますにゃ~♡」
「……あなたがヴァルグレン?」
「はいにゃ?」
「お前みたいなキラキラしたイケメンなら、もっとこう、綺麗で柔らかい名前が普通だろ! ヴァルグレンなんて、どう考えても斧を持った大男の名前じゃないか!」
「初対面で人の名前に文句をつけるとは、ずいぶん失礼な人間さんですにゃ~」
そう言いながらも、ヴァルグレンは怒るどころか、慣れたように笑った。
その唇の隙間から、小さな八重歯がちらりと覗く。
それすら魅力になるとか、狐顔のイケメンずるい!!
「南方から来る人間さんは、僕の名前を聞くと皆さん似たようなことを言いますにゃ。ヴァルグレンは北方語で“大いなる鷹”という意味ですにゃ~♡」
「狐なのに鷹なのかよ!」
「名前と種族を揃える決まりはありませんにゃ。母が北方由来の名前なので、僕にも同じ系統の名前を付けてくれたんですにゃ~♡」
見た目は狐。
名前は鷹。
語尾は猫。
異世界へ来て四日目の俺には、情報量が多すぎた。
「狐なのに、にゃって言うんだな」
「にゃ? 何のことですにゃ?」
「いや……もういい」
ヴァルグレンは不思議そうに耳を傾けたが、すぐに笑顔へ戻った。
「では、はじめにこれをお願いしますにゃ♡」
そう言って、机の引き出しから何かを取り出した。
細い革の輪だった。
鷹の紋章が入った金具がついている。
どう見ても。
「……首輪?」
「はいですにゃ♡」
「なんで!?」
「うちでお仕事してもらう人間さんには、みんなつけてもらってますにゃ♡」
ヴァルグレンは当たり前のように答えた。
俺は首輪とヴァルグレンの笑顔を交互に見る。
「いやいやいや。俺、人間だぞ?」
「知ってますにゃ♡」
「人間に首輪つけるの!?」
「嫌ならつけなくてもいいですにゃ~♡」
「じゃあつけない!」
「その場合、うちからお仕事は紹介できませんにゃ~♡」
「…………」
にこにこしている。
こいつ、絶対ちょっと楽しんでるだろ。
でも俺には借金がある。
ここまで来て、仕事を紹介してもらえませんでしたでは困る。
「……分かったよ! つければいいんだろ!」
「ありがとうございますにゃ♡」
俺は渋々、首輪を受け取った。
革は思ったより柔らかく、締めても苦しくはない。
ただ、首に何か巻かれている感覚がものすごく落ち着かない。
異世界に来て四日目。
借金を背負い、獣人の国へ連れてこられ、今度は狐男に首輪までつけさせられた。
本当に大丈夫なのか、この国。
ヴァルグレンは満足そうに俺の首元を確認すると、何事もなかったように書類を手元へ寄せた。
「それでは、債務と就労条件を確認しますにゃ」
彼は俺が昨日までいたセラキア帝国から送られた契約書を、最初から最後まで黙って読んだ。
六枚しかない書類に、俺が署名した時の何倍もの時間をかけている。
「ずいぶん割高な支援を受けましたにゃ」
「やっぱり騙されてるよな!?」
「相手が悪質なのは間違いありませんにゃ。ただし、契約内容は明記され、署名もありますにゃ」
「じゃあ、どうにもならないのか」
「債権は当社で買い取りましたにゃ。今後は当社規定の利率へ切り替わります。元の契約よりは、ずっと低い利率ですにゃ。最低限の住居もこちらで用意しますにゃ♡」
俺を騙した業者より、はるかにまともな条件だった。
「早く返せる仕事は?」
「人間さんでしたら、接触業が一番ですにゃ」
「接触業?」
「お客様の身体へ触れたり、触れていただいたりして、心身を整える仕事ですにゃ。接触は可能ですかにゃ?」
「マッサージみたいなものか?」
「マッサージも含まれますにゃ」
なるほど。
マッサージなら経験がある。
前世の職場では、残業中になると上司が椅子ごとこちらを向き、「若いんだから力あるだろ」と肩を揉ませてきた。金も出ないのに何度もやらされたのだ。
今度は給料をもらって同じことをすればいい。
専門家ほど上手くはないが、できない仕事ではない。
「それなら平気だ」
「接触する相手の種族や性別に、制限はありますかにゃ?」
「マッサージするだけなら、男でも女でも変わらないだろ。特にないよ」
「承知しましたにゃ♡」
ヴァルグレンは新しい契約書を差し出した。
今度は十八枚もある。
「接触範囲と報酬、拒否方法、衛生管理について記載されていますにゃ。ご希望でしたら、最初から読み上げますにゃ」
「いや、読めるから大丈夫」
一枚目には、セラキア帝国の日雇い仕事では考えられない報酬額が書かれていた。
順調に働けば、一か月もかからず借金を返せる。
俺は報酬額を何度も確認した。
途中の頁には、接触範囲についてやたら細かく項目が分けられていた。額、手、耳、尻尾、角……。
あまりに項目が多くて面倒だったので、一番上にあった『包括接触可』へチェックを入れた。
だいたい俺には尻尾も角もない。猫は触られたくない部位があると聞いたことがあるし、獣人にもそういった事情があるんだろう。
全部読んでいたら日が暮れる。
最後の確認欄へ次々と印を付け、署名する。
「説明は本当によろしいですかにゃ?」
「大丈夫。早く働きたい」
ヴァルグレンは俺の顔と署名を交互に見たあと、契約書を受け取った。
「それでは明日、人間専門接触店《月白館》へ入っていただきますにゃ。すでに最初の予約も入っていますにゃ~♡」
「もう客が?」
「人間さんは人気ですからにゃ♡」
猫耳美少女の国で、人間にしかできない高収入の仕事。
借金など、すぐに返してやる。
俺はこの時、本気でそう思っていた。
