第19話 人食い鳥に食われかけました!

昼になり、俺は指定されていた集合場所へ戻った。

朝飯を食べて、街を歩いて、鳥に馬鹿にされた。

外国観光としてはなかなか濃い午前中だったと思う。

腹はまだ立っているけど。

集合場所には、昨日一緒にここまで来た連中のほかにも何人か集まっていた。

みんな荷物を持っている。

俺も借りた防寒具やら何やらを抱えて、言われた馬車へ乗り込んだ。

「ここからまた馬車か……」

昨日も散々乗った気がする。

馬車が動き出す。

最初のうちはまだ街道沿いに家が並んでいた。

それが少しずつ減っていき、畑になり、林になり、そのうち窓の外はほとんど山ばかりになった。

何時間走ったのか分からない。

途中で何度か休憩を挟んだが、景色はどんどん寒そうになっていった。

夕方を過ぎる頃には、道の端に雪まで残っている。

「寒っ」

借りた上着を着込む。

山へ近づくにつれて道も悪くなった。

馬車が大きく揺れるたび、尻が座席から浮く。

「これ、仕事する前に疲れるだろ……」

誰に言っても仕方がないので、一人で文句を言った。

外が完全に暗くなってから、ようやく馬車が止まった。

着いた先には、大きな建物があった。

宿らしい。

中へ入ると、南方語を話せる係の男が俺たちを奥へ案内した。

通された部屋を見て、俺は足を止めた。

「広っ」

とにかく広い。

大きな部屋いっぱいに寝具が並べられている。

壁際にも、中央にも、ずらっと。

個室なんてものはない。

「ここで全員寝るの?」

「そうだ」

男はあっさり答えた。

完全な雑魚寝だった。

まあ、緊急で集められた仕事だ。

宿まで贅沢を言うつもりはないけど。

「朝は?」

「夜明け前に出る」

「夜明け前に集合?」

「違う。夜明けには配置につく。暗いうちに出る」

「えっ」

男は部屋の入口を指した。

「荷物置け。飯食ったらすぐ寝ろ」

「早すぎない?」

「すぐ寝ろ」

二回言われた。

仕方なく荷物を置く。

用意されていた飯を食べ、寝具へ潜り込んだ。

周りではまだ小声で話している人もいたが、俺は馬車に揺られ続けたせいでかなり疲れていた。

日当二万タサル。

歩いて、音を出して、鳥を山の上へ追う。

明日からそれをやればいい。

「……まあ、寝るか」

目を閉じると、思ったよりすぐ眠れた。

◇

起こされた時、外は真っ暗だった。

「眠……」

周りではもうみんな起きている。

防寒具を着込み、借りた装備を持って外へ出た。

冷たい空気が顔に刺さった。

「さむっ!」

まだ夜じゃん。

そう思ったが、山の向こうがほんの少しだけ白くなり始めている。

俺たちは暗いうちに山へ入り、それぞれ決められた場所へ移動した。

出発前の講習で覚えた沿岸語の指示が飛ぶ。

止まれ。

進め。

右。

左。

下がれ。

短い言葉だけなら分かる。

周りの人間の動きを見ていれば、それで十分だった。

列はかなり長かった。

少し離れた場所にも人がいる。

俺たち追い立て役は横に広がり、間を空けすぎないように山を進むらしい。

猟師たちはもっと上だ。

俺たちが下から追って、そっちへイモクイを動かす。

係の人間が最後にもう一度、身振りを交えながら指示を確認する。

列を離れるな。

勝手に動くな。

イモクイへ近づくな。

合図に従え。

全部、ヴァルから聞いたのと同じだ。

「はいはい。ちゃんと守りますよ」

空が明るくなった。

合図が出る。

追い立てが始まった。

声を出し、持たされた道具で音を立てながら、ゆっくり山を進む。

最初はちょっと緊張していた。

五人食った鳥が、この山のどこかにいる。

そう考えると、木の陰や岩の向こうが少し気になる。

でも、何も出てこない。

ずっと歩く。

止まれと言われたら止まり、進めと言われたら進む。

列がずれれば合わせる。

それだけだった。

しばらくして、山の上の方から乾いた音が響いた。

銃声だった。

一発。

少し間を置いて、また一発。

「おっ」

誰か見つけたのかもしれない。

俺には何も見えない。

周りの人間も騒がない。

指示が出るまで、その場で待つだけだった。

やがてまた進めの合図が出る。

俺たちは音を立てながら前へ進んだ。

それからも何度か遠くで銃声がした。

でも結局、俺はイモクイを一度も見なかった。

昼になっても同じ。

午後になっても同じ。

歩く。

音を出す。

止まる。

また歩く。

「……本当にこれだけ?」

危険な鳥を追っているというより、大人数で山を歩いているだけだった。

夕方。

日が傾く前に撤収の合図が出た。

一日目は、それで終わった。

「終わり?」

「終わり」

近くにいた係の男が答える。

誰も食われていない。

怪我人もいない。

少なくとも俺の見える範囲では、何も起きていなかった。

宿へ戻る頃には腹が減って、足が少しだるい程度だった。

「これで二万タサルか」

思っていたよりずっと楽だ。

ヴァルの言った通り、指示さえ守っていれば前の仕事より安全なのかもしれない。

飯を食べながら、ふと気になった。

「そういえば、夜は大丈夫なの?」

係の男が俺を見る。

「夜?」

「イモクイ。寝てる間に山から来たりしない?」

五人も食っている鳥だ。

暗くなってから宿の近くまで来られたら嫌すぎる。

男は何でもないことみたいに答えた。

「来ない。夜は動かん」

「なんで?」

「鳥目だから」

「……鳥目なんだ」

一気にただの鳥っぽくなった。

「暗いと見えない?」

「見えん」

「五人食ってるのに?」

「鳥だからな」

「そこはちゃんと鳥なんだ……」

なんだか拍子抜けする。

昼間も姿すら見なかったし、夜は鳥目で動けない。

ロロが言っていた、ぎょえーと鳴く鳥。

やっぱり俺が直接どうこうなるような相手じゃない気がしてきた。

明日も今日と同じことをやればいい。

そう思うと、急に眠くなった。

昨日と同じ大部屋の寝具へ潜り込む。

「二日で四万タサルか……」

三日目までやれば六万タサル。

悪くない。

俺はすぐに眠った。

◇

二日目。

また、空が明るくなる前に起こされた。

眠い目をこすりながら防寒具を着て、昨日と同じように山へ向かう。

暗いうちに配置へ入り、列を作る。

昨日と同じ場所。

昨日と同じ指示。

昨日と同じ仕事。

空が白み始めた。

合図が出る。

俺は何の疑いもなく、また音を立てながら山を歩き始めた。

午前中は、本当に昨日と変わらなかった。

歩く。

音を出す。

合図で止まる。

また進む。

昨日より緊張していない分、むしろ時間が長く感じる。

「今日もこれで終わったりして」

そんなことを考えながら、持たされた道具を鳴らした。

昼を過ぎても、俺の周りでは何も起きなかった。

時々、遠くで銃声がする。

そのたびに少しだけ顔を上げるが、木と笹ばかりで何も見えない。

昨日と同じだ。

猟師が上で何とかしてくれている。

俺はここで、言われた通りにしていればいい。

そう思っていた。

しばらく進んだところで、列が止まった。

俺も足を止める。

前の方で短い声が飛び交っている。

何を言っているのかは分からない。

ただ、昨日より少し慌ただしい気がした。

「何?」

隣の人間を見ても、向こうも山の上を見ているだけだった。

その時。

パンッ、と昨日よりずっと近い銃声が響いた。

「うわっ」

反射的に肩が跳ねる。

続けて、もう一発。

直後。

上の方で、笹がものすごい勢いで揺れた。

何かが走ってくる。

最初は鹿か何かだと思った。

でも、違った。

笹の上から、茶色い頭が飛び出した。

その下に、異様に細長い首。

さらにその下から、でかい胴体と長い脚が現れる。

「え」

一瞬、何を見ているのか分からなかった。

でかい。

人間よりでかい。

白っぽい冬羽で膨らんだ胴体の横が、赤黒く濡れている。

「イモクイ!?」

初めて見た。

そう思った次の瞬間には、もうこっちへ走ってきていた。

「速っ!?」

でかい鳥が走る。

そんな言葉で想像していた速さじゃない。

長い脚が地面を蹴るたび、一気に距離が縮まる。

誰かが叫んだ。

何と言ったのか分からない。

俺の頭から、講習で覚えた言葉が全部飛んだ。

「うわあああああ!!」

逃げた。

考える前に身体が動いていた。

横へ。

とにかく、あれの進む方向から離れたかった。

笹をかき分けて走る。

後ろを見る余裕なんてない。

足元もよく見えていなかった。

一歩。

二歩。

三歩目で、地面がなくなった。

「え?」

靴底が滑った。

そこは、笹に覆われた急な斜面だった。

「あっ、ちょ――」

尻から落ちる。

反射的に笹を掴んだ。

葉が手の中を滑り抜けた。

止まらない。

「うわっ、うわあああああ!!」

身体が斜面を滑っていく。

笹と枯れ葉の上を、どんどん速くなる。

足で止めようとしても何にも引っかからない。

横向きになった。

肩をぶつけた。

一回転した。

何か硬いものに背中を打った。

息が抜ける。

それでも止まらない。

視界の中で、空と笹と地面がぐるぐる回った。

最後に、頭の横へ強い衝撃が来た。

そこで何も分からなくなった。

◇

寒かった。

最初に分かったのは、それだった。

「……う……」

目を開ける。

薄暗い。

しばらく、自分がどこにいるのか分からなかった。

頭が痛い。

背中も肩も痛い。

身体中が打ち身みたいに重かった。

それに、寒い。

身体が勝手に細かく震えている。

歯までかちかち鳴った。

手を握ろうとしたが、指先がうまく動かない。

借りた防寒具は着ているのに、ずっと地面に転がっていたせいか、身体の芯まで冷えている気がした。

「……山……?」

少しずつ思い出す。

鳥。

でかい鳥。

走ってきた。

逃げた。

滑った。

「……落ちたのか、俺」

上を見る。

斜面が続いている。

一面の笹で、どこから落ちてきたのかもよく分からない。

空はもう夕方だった。

山の向こうに残っている光が、かなり低い。

「嘘だろ……」

どれくらい気を失っていたんだ。

身体を起こす。

痛いけど、動けないほどじゃない。

脚も動く。

骨が折れている感じもしない。

「誰かー!」

叫んだ。

返事はない。

「おーい!」

もう一度。

山の中へ声が吸い込まれていく。

急に怖くなった。

昨日、夜は鳥目だから動かないと聞いた。

とはいえ、暗くなった山で一人になったら普通に遭難する。

「まずい、まずいって……」

立ち上がろうとした時。

少し離れた笹が、がさっと鳴った。

「……誰かいる?」

返事はない。

また鳴る。

がさ。

がさがさ。

人が歩く音とは少し違う。

何かが、笹の間をゆっくり動いている。

俺は黙った。

心臓が速くなる。

笹の向こうに、茶色い頭が見えた。

後ろを向いて、地面の方へ何度も頭を下げている。

人だ。

「助けて!」

茶色い頭が、ぱっと振り向いた。

黒い目が二つ、俺を見る。

「たすけ――」

そいつが、にゅっと首を伸ばして立ち上がった。

「人じゃない!?」

笹の上へ異様に細長い首が伸び、その下から白っぽい大きな胴体が現れる。

朝からずっと探して、一度も見なかった鳥。

さっき俺の方へ走ってきた鳥。

イモクイだった。

「なんで……」

胴の横の羽が、赤黒く固まっている。

さっき撃たれたやつだ。

生きてる。

あれだけ血が出ていたのに、普通に立っている。

イモクイは俺を見たまま、ゆっくりこっちへ歩き始めた。

「いや、待て待て待て」

後ずさる。

さっきみたいに走ってはいない。

ゆっくりだ。

だから余計に怖い。

「俺、食い物じゃないからな」

通じるわけがない。

イモクイが近づく。

大きい。

さっきは走っている姿を一瞬見ただけだった。

今度は、嫌でも全部見える。

膨らんだ冬羽。

細い首。

大きな嘴。

俺より高い位置にある頭。

ロロが言っていた、ぎょえーと鳴く鳥。

全然かわいくない。

「来るなって!」

俺が声を上げても、止まらない。

イモクイが一気に首を下げた。

嘴の先が、俺の腹へ向かう。

「うわっ!」

横へ転がった。

直前まで腹があった場所へ、嘴が突き刺さる。

地面がえぐれた。

「ひっ……!」

今のが腹に入っていたら。

考えた瞬間、全身が冷たくなった。

「助けて!!」

叫んだ。

「誰か!! 助けて!!」

イモクイが頭を上げる。

嘴が開いた。

「タスケテー!」

「……は?」

俺の声じゃない。

目の前の鳥だった。

「タスケテー!」

人の声に似ている。

でも、変だ。

抑揚がおかしい。

「なんで……」

「タスケテー!」

「やめろよ!!」

鳥がまた首を伸ばしてくる。

逃げようと立ち上がった。

足がもつれた。

嘴が振り下ろされる。

「うあっ!!」

右腕に、熱いものが突き刺さった。

肩に近い上腕。

防寒着ごと貫かれたみたいな痛みが走る。

「いっ、いたああああ!!」

反射的に腕を引く。

布が裂けた。

血が一気に滲む。

「タスケテー!」

「助けてよぉ!!」

涙が出た。

痛い。

怖い。

本当に食われる。

五人食った。

ヴァルはそう言っていた。

俺は追い立てるだけだから大丈夫だと思っていた。

ぎょえーと鳴く鳥だから大丈夫だと思っていた。

「誰か!! 誰かあ!!」

「タスケテー!」

「うるさい!! 真似すんなよ!!」

イモクイが首を引く。

また来る。

俺は血の出る腕を押さえながら、後ろへ下がった。

足が震えている。

もう一回避けられる気がしない。

嘴が上がった。

その瞬間。

山の中に、銃声が響いた。

目の前のイモクイの頭が大きく揺れた。

巨体がぐらつく。

長い首が落ちる。

そのまま、俺のすぐ横へ倒れ込んだ。

「……え」

何が起きたのか分からなかった。

動かない。

さっきまで俺を食おうとしていた鳥が、地面に倒れている。

「……た、助かった……?」

息がうまくできない。

涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。

笹を踏む音が近づいてくる。

誰かがいる。

今度こそ、人間だ。

「た、助けて……」

顔を上げた。

銃を持った男が、笹の向こうから出てきた。

見覚えのある顔だった。

「……ベルン?」

男の顔が、一瞬止まった。

それから思い切り眉間に皺が寄った。

「……お前かよ!!」

「ベルン!!」

知っている顔を見た瞬間、また涙が出た。

「助けてよぉ!!」

「助けただろうが!!」

ベルンは怒鳴りながらこっちへ来た。

倒れたイモクイを確認し、それから俺の血の出ている腕を見る。

「お前どうせまた規則破ったんだろ!!」

「破ってないよぉ!!」

「嘘つけ!! なんで毎回お前だけこんなことになってんだ!!」

「俺も知らないよぉ!!」

本当に知らない。

今回は、ちゃんと言われた通りにしていた。

なのに、またこうなった。

ベルンは何か悪態をつきながら、俺の腕を押さえた。

その手が一瞬止まる。

「お前、震えてんじゃねえか」

「さ、寒い……」

「いつからここにいる」

「知らないよ……気絶してたんだから……」

ベルンが舌打ちした。

「寝るなよ。目ぇ開けてろ」

「寝ないよ……寒くて寝れない……」

「なら喋ってろ」

それから改めて腕を押さえられた。

痛くてまた声が出た。

「痛い痛い痛い!」

「うるせえ! 死にたくなきゃ黙ってろ!」

口は最悪だった。

でも、俺はベルンの顔を見て、ようやく本当に助かったんだと思った。

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