昼になり、俺は指定されていた集合場所へ戻った。
朝飯を食べて、街を歩いて、鳥に馬鹿にされた。
外国観光としてはなかなか濃い午前中だったと思う。
腹はまだ立っているけど。
集合場所には、昨日一緒にここまで来た連中のほかにも何人か集まっていた。
みんな荷物を持っている。
俺も借りた防寒具やら何やらを抱えて、言われた馬車へ乗り込んだ。
「ここからまた馬車か……」
昨日も散々乗った気がする。
馬車が動き出す。
最初のうちはまだ街道沿いに家が並んでいた。
それが少しずつ減っていき、畑になり、林になり、そのうち窓の外はほとんど山ばかりになった。
何時間走ったのか分からない。
途中で何度か休憩を挟んだが、景色はどんどん寒そうになっていった。
夕方を過ぎる頃には、道の端に雪まで残っている。
「寒っ」
借りた上着を着込む。
山へ近づくにつれて道も悪くなった。
馬車が大きく揺れるたび、尻が座席から浮く。
「これ、仕事する前に疲れるだろ……」
誰に言っても仕方がないので、一人で文句を言った。
外が完全に暗くなってから、ようやく馬車が止まった。
着いた先には、大きな建物があった。
宿らしい。
中へ入ると、南方語を話せる係の男が俺たちを奥へ案内した。
通された部屋を見て、俺は足を止めた。
「広っ」
とにかく広い。
大きな部屋いっぱいに寝具が並べられている。
壁際にも、中央にも、ずらっと。
個室なんてものはない。
「ここで全員寝るの?」
「そうだ」
男はあっさり答えた。
完全な雑魚寝だった。
まあ、緊急で集められた仕事だ。
宿まで贅沢を言うつもりはないけど。
「朝は?」
「夜明け前に出る」
「夜明け前に集合?」
「違う。夜明けには配置につく。暗いうちに出る」
「えっ」
男は部屋の入口を指した。
「荷物置け。飯食ったらすぐ寝ろ」
「早すぎない?」
「すぐ寝ろ」
二回言われた。
仕方なく荷物を置く。
用意されていた飯を食べ、寝具へ潜り込んだ。
周りではまだ小声で話している人もいたが、俺は馬車に揺られ続けたせいでかなり疲れていた。
日当二万タサル。
歩いて、音を出して、鳥を山の上へ追う。
明日からそれをやればいい。
「……まあ、寝るか」
目を閉じると、思ったよりすぐ眠れた。
◇
起こされた時、外は真っ暗だった。
「眠……」
周りではもうみんな起きている。
防寒具を着込み、借りた装備を持って外へ出た。
冷たい空気が顔に刺さった。
「さむっ!」
まだ夜じゃん。
そう思ったが、山の向こうがほんの少しだけ白くなり始めている。
俺たちは暗いうちに山へ入り、それぞれ決められた場所へ移動した。
出発前の講習で覚えた沿岸語の指示が飛ぶ。
止まれ。
進め。
右。
左。
下がれ。
短い言葉だけなら分かる。
周りの人間の動きを見ていれば、それで十分だった。
列はかなり長かった。
少し離れた場所にも人がいる。
俺たち追い立て役は横に広がり、間を空けすぎないように山を進むらしい。
猟師たちはもっと上だ。
俺たちが下から追って、そっちへイモクイを動かす。
係の人間が最後にもう一度、身振りを交えながら指示を確認する。
列を離れるな。
勝手に動くな。
イモクイへ近づくな。
合図に従え。
全部、ヴァルから聞いたのと同じだ。
「はいはい。ちゃんと守りますよ」
空が明るくなった。
合図が出る。
追い立てが始まった。
声を出し、持たされた道具で音を立てながら、ゆっくり山を進む。
最初はちょっと緊張していた。
五人食った鳥が、この山のどこかにいる。
そう考えると、木の陰や岩の向こうが少し気になる。
でも、何も出てこない。
ずっと歩く。
止まれと言われたら止まり、進めと言われたら進む。
列がずれれば合わせる。
それだけだった。
しばらくして、山の上の方から乾いた音が響いた。
銃声だった。
一発。
少し間を置いて、また一発。
「おっ」
誰か見つけたのかもしれない。
俺には何も見えない。
周りの人間も騒がない。
指示が出るまで、その場で待つだけだった。
やがてまた進めの合図が出る。
俺たちは音を立てながら前へ進んだ。
それからも何度か遠くで銃声がした。
でも結局、俺はイモクイを一度も見なかった。
昼になっても同じ。
午後になっても同じ。
歩く。
音を出す。
止まる。
また歩く。
「……本当にこれだけ?」
危険な鳥を追っているというより、大人数で山を歩いているだけだった。
夕方。
日が傾く前に撤収の合図が出た。
一日目は、それで終わった。
「終わり?」
「終わり」
近くにいた係の男が答える。
誰も食われていない。
怪我人もいない。
少なくとも俺の見える範囲では、何も起きていなかった。
宿へ戻る頃には腹が減って、足が少しだるい程度だった。
「これで二万タサルか」
思っていたよりずっと楽だ。
ヴァルの言った通り、指示さえ守っていれば前の仕事より安全なのかもしれない。
飯を食べながら、ふと気になった。
「そういえば、夜は大丈夫なの?」
係の男が俺を見る。
「夜?」
「イモクイ。寝てる間に山から来たりしない?」
五人も食っている鳥だ。
暗くなってから宿の近くまで来られたら嫌すぎる。
男は何でもないことみたいに答えた。
「来ない。夜は動かん」
「なんで?」
「鳥目だから」
「……鳥目なんだ」
一気にただの鳥っぽくなった。
「暗いと見えない?」
「見えん」
「五人食ってるのに?」
「鳥だからな」
「そこはちゃんと鳥なんだ……」
なんだか拍子抜けする。
昼間も姿すら見なかったし、夜は鳥目で動けない。
ロロが言っていた、ぎょえーと鳴く鳥。
やっぱり俺が直接どうこうなるような相手じゃない気がしてきた。
明日も今日と同じことをやればいい。
そう思うと、急に眠くなった。
昨日と同じ大部屋の寝具へ潜り込む。
「二日で四万タサルか……」
三日目までやれば六万タサル。
悪くない。
俺はすぐに眠った。
◇
二日目。
また、空が明るくなる前に起こされた。
眠い目をこすりながら防寒具を着て、昨日と同じように山へ向かう。
暗いうちに配置へ入り、列を作る。
昨日と同じ場所。
昨日と同じ指示。
昨日と同じ仕事。
空が白み始めた。
合図が出る。
俺は何の疑いもなく、また音を立てながら山を歩き始めた。
午前中は、本当に昨日と変わらなかった。
歩く。
音を出す。
合図で止まる。
また進む。
昨日より緊張していない分、むしろ時間が長く感じる。
「今日もこれで終わったりして」
そんなことを考えながら、持たされた道具を鳴らした。
昼を過ぎても、俺の周りでは何も起きなかった。
時々、遠くで銃声がする。
そのたびに少しだけ顔を上げるが、木と笹ばかりで何も見えない。
昨日と同じだ。
猟師が上で何とかしてくれている。
俺はここで、言われた通りにしていればいい。
そう思っていた。
しばらく進んだところで、列が止まった。
俺も足を止める。
前の方で短い声が飛び交っている。
何を言っているのかは分からない。
ただ、昨日より少し慌ただしい気がした。
「何?」
隣の人間を見ても、向こうも山の上を見ているだけだった。
その時。
パンッ、と昨日よりずっと近い銃声が響いた。
「うわっ」
反射的に肩が跳ねる。
続けて、もう一発。
直後。
上の方で、笹がものすごい勢いで揺れた。
何かが走ってくる。
最初は鹿か何かだと思った。
でも、違った。
笹の上から、茶色い頭が飛び出した。
その下に、異様に細長い首。
さらにその下から、でかい胴体と長い脚が現れる。
「え」
一瞬、何を見ているのか分からなかった。
でかい。
人間よりでかい。
白っぽい冬羽で膨らんだ胴体の横が、赤黒く濡れている。
「イモクイ!?」
初めて見た。
そう思った次の瞬間には、もうこっちへ走ってきていた。
「速っ!?」
でかい鳥が走る。
そんな言葉で想像していた速さじゃない。
長い脚が地面を蹴るたび、一気に距離が縮まる。
誰かが叫んだ。
何と言ったのか分からない。
俺の頭から、講習で覚えた言葉が全部飛んだ。
「うわあああああ!!」
逃げた。
考える前に身体が動いていた。
横へ。
とにかく、あれの進む方向から離れたかった。
笹をかき分けて走る。
後ろを見る余裕なんてない。
足元もよく見えていなかった。
一歩。
二歩。
三歩目で、地面がなくなった。
「え?」
靴底が滑った。
そこは、笹に覆われた急な斜面だった。
「あっ、ちょ――」
尻から落ちる。
反射的に笹を掴んだ。
葉が手の中を滑り抜けた。
止まらない。
「うわっ、うわあああああ!!」
身体が斜面を滑っていく。
笹と枯れ葉の上を、どんどん速くなる。
足で止めようとしても何にも引っかからない。
横向きになった。
肩をぶつけた。
一回転した。
何か硬いものに背中を打った。
息が抜ける。
それでも止まらない。
視界の中で、空と笹と地面がぐるぐる回った。
最後に、頭の横へ強い衝撃が来た。
そこで何も分からなくなった。
◇
寒かった。
最初に分かったのは、それだった。
「……う……」
目を開ける。
薄暗い。
しばらく、自分がどこにいるのか分からなかった。
頭が痛い。
背中も肩も痛い。
身体中が打ち身みたいに重かった。
それに、寒い。
身体が勝手に細かく震えている。
歯までかちかち鳴った。
手を握ろうとしたが、指先がうまく動かない。
借りた防寒具は着ているのに、ずっと地面に転がっていたせいか、身体の芯まで冷えている気がした。
「……山……?」
少しずつ思い出す。
鳥。
でかい鳥。
走ってきた。
逃げた。
滑った。
「……落ちたのか、俺」
上を見る。
斜面が続いている。
一面の笹で、どこから落ちてきたのかもよく分からない。
空はもう夕方だった。
山の向こうに残っている光が、かなり低い。
「嘘だろ……」
どれくらい気を失っていたんだ。
身体を起こす。
痛いけど、動けないほどじゃない。
脚も動く。
骨が折れている感じもしない。
「誰かー!」
叫んだ。
返事はない。
「おーい!」
もう一度。
山の中へ声が吸い込まれていく。
急に怖くなった。
昨日、夜は鳥目だから動かないと聞いた。
とはいえ、暗くなった山で一人になったら普通に遭難する。
「まずい、まずいって……」
立ち上がろうとした時。
少し離れた笹が、がさっと鳴った。
「……誰かいる?」
返事はない。
また鳴る。
がさ。
がさがさ。
人が歩く音とは少し違う。
何かが、笹の間をゆっくり動いている。
俺は黙った。
心臓が速くなる。
笹の向こうに、茶色い頭が見えた。
後ろを向いて、地面の方へ何度も頭を下げている。
人だ。
「助けて!」
茶色い頭が、ぱっと振り向いた。
黒い目が二つ、俺を見る。
「たすけ――」
そいつが、にゅっと首を伸ばして立ち上がった。
「人じゃない!?」
笹の上へ異様に細長い首が伸び、その下から白っぽい大きな胴体が現れる。
朝からずっと探して、一度も見なかった鳥。
さっき俺の方へ走ってきた鳥。
イモクイだった。
「なんで……」
胴の横の羽が、赤黒く固まっている。
さっき撃たれたやつだ。
生きてる。
あれだけ血が出ていたのに、普通に立っている。
イモクイは俺を見たまま、ゆっくりこっちへ歩き始めた。
「いや、待て待て待て」
後ずさる。
さっきみたいに走ってはいない。
ゆっくりだ。
だから余計に怖い。
「俺、食い物じゃないからな」
通じるわけがない。
イモクイが近づく。
大きい。
さっきは走っている姿を一瞬見ただけだった。
今度は、嫌でも全部見える。
膨らんだ冬羽。
細い首。
大きな嘴。
俺より高い位置にある頭。
ロロが言っていた、ぎょえーと鳴く鳥。
全然かわいくない。
「来るなって!」
俺が声を上げても、止まらない。
イモクイが一気に首を下げた。
嘴の先が、俺の腹へ向かう。
「うわっ!」
横へ転がった。
直前まで腹があった場所へ、嘴が突き刺さる。
地面がえぐれた。
「ひっ……!」
今のが腹に入っていたら。
考えた瞬間、全身が冷たくなった。
「助けて!!」
叫んだ。
「誰か!! 助けて!!」
イモクイが頭を上げる。
嘴が開いた。
「タスケテー!」
「……は?」
俺の声じゃない。
目の前の鳥だった。
「タスケテー!」
人の声に似ている。
でも、変だ。
抑揚がおかしい。
「なんで……」
「タスケテー!」
「やめろよ!!」
鳥がまた首を伸ばしてくる。
逃げようと立ち上がった。
足がもつれた。
嘴が振り下ろされる。
「うあっ!!」
右腕に、熱いものが突き刺さった。
肩に近い上腕。
防寒着ごと貫かれたみたいな痛みが走る。
「いっ、いたああああ!!」
反射的に腕を引く。
布が裂けた。
血が一気に滲む。
「タスケテー!」
「助けてよぉ!!」
涙が出た。
痛い。
怖い。
本当に食われる。
五人食った。
ヴァルはそう言っていた。
俺は追い立てるだけだから大丈夫だと思っていた。
ぎょえーと鳴く鳥だから大丈夫だと思っていた。
「誰か!! 誰かあ!!」
「タスケテー!」
「うるさい!! 真似すんなよ!!」
イモクイが首を引く。
また来る。
俺は血の出る腕を押さえながら、後ろへ下がった。
足が震えている。
もう一回避けられる気がしない。
嘴が上がった。
その瞬間。
山の中に、銃声が響いた。
目の前のイモクイの頭が大きく揺れた。
巨体がぐらつく。
長い首が落ちる。
そのまま、俺のすぐ横へ倒れ込んだ。
「……え」
何が起きたのか分からなかった。
動かない。
さっきまで俺を食おうとしていた鳥が、地面に倒れている。
「……た、助かった……?」
息がうまくできない。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。
笹を踏む音が近づいてくる。
誰かがいる。
今度こそ、人間だ。
「た、助けて……」
顔を上げた。
銃を持った男が、笹の向こうから出てきた。
見覚えのある顔だった。
「……ベルン?」
男の顔が、一瞬止まった。
それから思い切り眉間に皺が寄った。
「……お前かよ!!」
「ベルン!!」
知っている顔を見た瞬間、また涙が出た。
「助けてよぉ!!」
「助けただろうが!!」
ベルンは怒鳴りながらこっちへ来た。
倒れたイモクイを確認し、それから俺の血の出ている腕を見る。
「お前どうせまた規則破ったんだろ!!」
「破ってないよぉ!!」
「嘘つけ!! なんで毎回お前だけこんなことになってんだ!!」
「俺も知らないよぉ!!」
本当に知らない。
今回は、ちゃんと言われた通りにしていた。
なのに、またこうなった。
ベルンは何か悪態をつきながら、俺の腕を押さえた。
その手が一瞬止まる。
「お前、震えてんじゃねえか」
「さ、寒い……」
「いつからここにいる」
「知らないよ……気絶してたんだから……」
ベルンが舌打ちした。
「寝るなよ。目ぇ開けてろ」
「寝ないよ……寒くて寝れない……」
「なら喋ってろ」
それから改めて腕を押さえられた。
痛くてまた声が出た。
「痛い痛い痛い!」
「うるせえ! 死にたくなきゃ黙ってろ!」
口は最悪だった。
でも、俺はベルンの顔を見て、ようやく本当に助かったんだと思った。
