翌朝。
目を覚ますと、胸元でドラゴンが笑っていた。
ロロにもらったパジャマを着たまま寝ていた。
布は柔らかい。
胸についている子供向けのドラゴンさえなければ、かなりいい寝巻きだった。
俺は普段着へ着替え、棚の奥から財布を出した。
寝台へ紙幣を並べる。
数える。
「……二千タサル?」
もう一度数えた。
二千タサルだった。
財布の中を覗き、紙幣が張りついていないか確認する。
何もない。
昨日は接触店に三軒行った。
一回ずつなら大した金額ではないと思っていた。
全部合わせると、大した金額だったらしい。
二千タサルでは、飯を食っているだけですぐになくなる。
「働かないと詰むじゃん!」
今日は仕事を探す、では遅い。
今日、仕事を決める。
できれば今日から働く。
俺は二千タサルを財布へ戻し、服の内側へ入れた。
棚には、女神からもらった中学生向けの教科書が置かれている。
今日は勉強している場合ではない。
俺は部屋を出て、ヴァルグレンの事務所へ向かった。
◇
「仕事をくれ!」
ヴァルグレンの事務所へ入るなり、俺は言った。
机の向こうで、ヴァルは何枚かの書類を分けていた。
俺を見ると、手を止める。
「おはようございますにゃ。ずいぶん急いでますにゃ?」
「金がない」
「この前のお仕事のお給料、もう使ったんですかにゃ?」
「まだ二千タサルある」
「ほとんどないですにゃ」
言い方が腹立つ。
「だから働きに来たんだよ。できれば今日から」
「今日からですかにゃ」
ヴァルは机の上の書類へ目を落とした。
何枚かめくり、横へ除ける。
さらに別の束を確認してから、一枚を抜き出した。
「今日からは難しいですけど、明日からなら一件ありますにゃ」
「何の仕事?」
「イモクイの駆除補助ですにゃ」
「イモクイ?」
聞いたことがない。
ヴァルが書類を俺の前へ滑らせた。
国外、カルヴェン。
山間部。
緊急駆除作業。
期間は二日から三日程度。
日当二万タサル。
「三日で六万タサル!?」
思わず身を乗り出した。
「三日で終われば、ですにゃ」
「十分じゃん!」
今までの仕事ほど長くはない。
だが、二千タサルしか持っていない俺には、明日から働けて六万タサルになるというだけで十分だった。
「何するの?」
「大勢で山へ入って、音を出しながらイモクイを山頂側へ追い立てますにゃ。佐藤さんには、その人数に入ってもらいますにゃ」
「それだけ?」
「それだけですにゃ」
簡単そうだ。
「じゃあ、何で日当二万タサルも出るの?」
「急いで人を集めてるからですにゃ。すでに五人食べられてますにゃ」
「人間食うの!?」
「食べますにゃ」
さらっと言うな。
俺はもう一度書類を見る。
駆除対象、イモクイ。
大型鳳類。
雑食性。
「危なくない?」
「仕留めるのは現地の猟師ですにゃ。佐藤さんは、ほかの人と一緒に音を出して追い立てるだけですにゃ」
「でも五人死んでるじゃん」
「だから駆除するんですにゃ」
それはそうだ。
ヴァルは書類の一番下を指で軽く叩いた。
「列を離れない。勝手に前へ出ない。指示された方向以外へ追わない。これを守ってくださいにゃ」
「守れば大丈夫?」
「ちゃんと指示に従っていれば、今までのお仕事より危険はないですにゃ~」
今まで。
竜の糞を三日間洗い続けた仕事。
森の中で、猪に噛まれて痛い思いをした仕事。
それより安全。
しかも、歩いて音を出すだけ。
「やる」
「まだ説明の途中ですにゃ」
「大事なところは聞いた」
「前にも聞いた台詞ですにゃ」
ヴァルは俺の返事を無視して、書類を一枚ずつめくった。
作業場所。
集合場所。
服装。
持ち物。
現地での禁止事項。
聞いているうちに、最初ほど面白くなくなってくる。
「現地語は話せますかにゃ?」
「俺、セラキア語が喋れる!」
ヴァルが一瞬だけ俺を見た。
少しだけ、可哀想なものを見るような目だった。
「……出発前に簡単な講習を受けてもらいますにゃ」
「何で?」
「必要だからですにゃ」
よく分からない。
ヴァルは説明を続けた。
作業用の防寒具と道具は向こうで貸し出される。
移動も手配済み。
明日の朝、指定された場所へ行けば、ほかの作業員と一緒に現地まで運んでもらえるらしい。
「今日からは無理なの?」
「無理ですにゃ。国外ですし、佐藤さんの登録と移動の手配もありますにゃ」
「俺、二千タサルしかないんだけど」
「一日なら十分ですにゃ♡」
「他人事だと思って!」
「佐藤さんが使ったお金ですにゃ」
何も言い返せない。
俺は契約書をもう一度見た。
二日から三日。
一日二万タサル。
明日から。
今の俺に、これ以上の条件はない。
「これにする」
「では、今度こそ最後まで読んでくださいにゃ」
「読むよ」
俺は書類を受け取った。
明日から、外国で鳥を追う。
歩いて、音を出して、六万タサル。
今回はかなり楽な仕事かもしれない。
◇
契約を済ませた後、そのまま簡単な講習を受けた。
列を離れないこと。
合図があるまで勝手に動かないこと。
イモクイを見つけても近づかないこと。
追い立ての途中で転んだ場合は、無理に立たず周囲へ知らせること。
それから、現地で使う沿岸語もいくつか教えられた。
「止まれ」
「進め」
「右」
「左」
「下がれ」
作業中に聞き逃すと困る言葉だけらしい。
発音を何度か繰り返し、最後に簡単な確認を受けた。
ほかにもいくつか説明されたが、要するに指示どおり動けばいい。
防寒具や作業道具は現地で貸し出される。
明日の朝、指定された集合場所へ行けば、そのまま現地まで連れていってもらえることになった。
講習が終わる頃には、昼をだいぶ過ぎていた。
俺は事務所を出て、そのまま部屋へ戻った。
明日から三日。
うまくいけば六万タサル。
二千タサルしかない状態から考えれば、十分すぎる。
部屋で少し休み、腹が減ったので安いものを食べた。
そうしているうちに、外が暗くなってきた。
俺は上着を着て、部屋を出る。
明日から仕事だ。
そのことをロロにも話しておこうと思い、いつもの場所へ向かった。
◇
日が暮れてから、いつもの場所へ向かった。
広場へ着くと、ロロは長椅子に座っていた。
ふさふさした尻尾を脚へ巻きつけ、両手で肉まんを持っている。
俺を見つけた瞬間、大きな猫耳がぴんと立った。
「たっくんにゃ~♡」
「ロロ!」
隣へ座る。
「昨日のウサギどうだったの!?」
まず聞かなければならない。
ロロは肉まんを一口齧った。
「楽しかったにゃ~♡」
「それで!? 奥の個室は!?」
「お姉さん、ふわふわだったにゃ♡」
「それは見れば分かる! その先!」
ロロが首を傾げる。
「えっちしたにゃ♡」
「くそっ!!」
やっぱりか。
昨日、金さえあれば俺も残れたのに。
「よかった?」
「よかったにゃ~♡ お耳も尻尾もいっぱい触らせてもらったにゃ」
「いいなあ……」
四万タサル。
昨日の俺には出せなかった。
今の俺にはもっと出せない。
「たっくんも今度するにゃ?」
「金ができたら絶対する!」
「じゃあ働くにゃ~♡」
「だから働くことにしたんだよ!」
ロロの猫耳がまた動いた。
「お仕事決まったにゃ?」
「決まった。明日から」
「偉いにゃ~♡」
手が伸びてくる。
頭を撫でられる前に払いのけた。
「子供扱いするな!」
「たっくん、お仕事決められて偉いにゃ~♡」
「普通のことだよ!」
昨日まで働いていなかったことについては触れないでほしい。
ロロは楽しそうに肉まんを食べながら聞いた。
「何のお仕事するにゃ?」
「外国でイモクイを追い立てる」
「イモクイにゃ?」
「知ってる?」
「テレビで見たことあるにゃ~♡ ぎょえーって鳴くにゃ!」
「ぎょえー?」
「ぎょえーって鳴くにゃ♡」
ロロが妙に低い声を出した。
全然怖くない。
むしろアホそうだ。
「大きい鳥さんにゃ~」
「それを大勢で山の上まで追い立てるんだって。俺は音を出しながら歩くだけ」
「たっくん、鳥さん追いかけるにゃ?」
「追いかけるっていうか、追い立てる」
ぎょえーと鳴くでかい鳥。
五人も食われたと聞いた時は少し警戒したが、ロロの話を聞いていると急に大したことのない鳥に思えてきた。
「三日くらいで終わる予定だから、すぐ帰ってくるよ」
「鳥さんに食べられないで帰ってくるにゃ~♡」
「大丈夫だって。五人くらい食ってるらしいけど、俺は大勢で追い立てるだけだから!」
仕留めるのは猟師だ。
ヴァルも、ちゃんと指示に従っていれば今までの仕事より危なくないと言っていた。
それに、ぎょえーと鳴く鳥だ。
どう考えても、俺が食われるところまではいかないだろう。
ロロは納得したのかしていないのか分からない顔で、最後の一口を食べた。
「明日は会えないにゃ?」
「外国にいるからな」
「そっかにゃ~」
大きな猫耳が少し横へ倒れた。
ほんの一瞬だった。
すぐにロロは身体を寄せ、俺の肩へ頭を載せる。
「じゃあ今日はいっぱいくっつくにゃ~♡」
「近いって」
「明日はくっつけないにゃ」
頬の横に、柔らかそうな猫耳が当たる。
長い尻尾まで俺の脚へ触れていた。
「……まあ、今日だけな」
「やったにゃ~♡」
ロロは嬉しそうに俺の腕へ抱きついた。
本当に距離が近い。
男じゃなければなあ。
俺はそんなことを考えながら、しばらくそのまま座っていた。
◇
翌朝。
指定された集合場所へ行くと、俺を含めた何人かが運河沿いの乗船場まで連れていかれた。
待っていたのは、大きな煙突のついた蒸気船だった。
船へ乗り込み、しばらくすると腹の下から低い振動が伝わってくる。
やがて煙突から煙を吐きながら、船が動き出した。
速い。
「うお、速っ!」
前にサイルへ行った時の船もかなり速いと思ったが、こっちはもっと速かった。
真っ直ぐ伸びる運河を、蒸気船がどんどん進んでいく。
岸沿いの倉庫や工房が、次々と後ろへ流れていった。
しばらく窓の外を眺めていると、遠くに見覚えのある巨大な影が見えた。
「あ」
丸々と太った、とんでもなくでかい竜が、遠くの草地に寝転がっている。
ゴロゴロドラゴンだ。
「あれ、ゴロゴロドラゴンじゃん」
久しぶりに見た。
あいつの糞を三日間洗い続けたの、本当に辛かったなあ。
もう二度とやりたくない。
巨大な身体がゆっくり動き、地面の上でごろんと寝返りを打った。
「……でも、やっぱりでかいドラゴンはカッコいいな!」
太ってるけど。
あの巨体だ。
若い頃はあれで空を飛んで、世界中を旅していたらしい。
やっぱりドラゴンはいい。
もう一度見ようと窓へ顔を寄せたが、船が速すぎて、巨大な姿はあっという間に遠ざかっていった。
「もう見えないじゃん!」
その後も蒸気船はほとんど速度を落とさず、運河を走り続けた。
船を降りた後は馬車だった。
そして、こっちは速い上に最悪だった。
「痛っ! 痛い痛い!」
跳ねる。
とにかく跳ねる。
車輪が石を踏むたびに尻が座席から浮いた。
蒸気船が恋しい。
馬車は何度か馬を替えながら走り続けた。
昼が過ぎ、夕方になり、外が暗くなってもまだ走る。
カルヴェンの沿岸都市へ到着した頃には、すっかり深夜になっていた。
馬車を降りる。
知らない街だった。
建物も、通りに並ぶ看板も、セグルとは違う。
当然、何が書いてあるのか分からない。
ここからさらに山へ向かうらしいが、現場行きの馬車が出るのは明日の昼だった。
それまでは待機。
「……やっと寝られる」
朝から一日中運ばれ続けた身体にはそれだけで十分だった。
