「電話あんの!?」
思わず声がひっくり返った。
ニルスは、何をそんなに驚いているのか分からない顔をした。
「アルヨ」
「あるの!?」
「ウン。管理の部屋」
管理者室。
そこに電話があるらしい。
俺は知らなかった。
この世界、電話あるんだ。
いや、考えてみれば色のついたテレビまであるんだから、あってもおかしくないのかもしれない。
でも俺の部屋にはテレビも電話もない。
今まで仕事をもらう時だって、直接ヴァルの事務所まで行っていた。
知らなくても困らなかった。
「じゃあヴァルに電話すれば帰りの便変えられるかも!」
「ヴァル?」
「仕事くれた奴。獣人国の」
「オー」
ニルスが頷いた。
「電話番号、覚えてル?」
「…………」
電話番号。
「覚えてない!」
覚えてるわけがない。
元いた世界じゃ、電話番号なんて一回登録したら終わりだった。
友達の番号だって覚えてなかった。
ましてヴァルの事務所なんて、こっちへ来てから一度も電話したことがない。
「どうしよ!?」
ニルスが首を傾げる。
俺も考える。
ヴァル。
事務所。
仕事。
契約。
「あ!」
思い出した。
「契約書!」
ヴァルのところでもらった書類。
会社名も住所も書いてあった。
たぶん電話番号もある。
「契約書見れば――」
そこで止まった。
宿舎へ入る時、私物は全部預けた。
財布も服も。
書類も。
「荷物預けてるんだった!!!」
ニルスが笑った。
「管理の人、言うヨ」
「頼む!」
◇
管理者室へ行った。
机の向こうにいた男へ、俺は身振りを交えて説明した。
「俺の! 紙! 契約! 電話!」
男が眉を寄せた。
「ヴァル! 獣人国! 電話したい!」
もっと分からない顔になった。
当然だ。
俺のセラキア語は、こいつには一言も通じていない。
ニルスが横からカルヴェン語で何か言った。
男が「ああ」という顔をした。
最初から任せればよかった。
管理者は帳面を確認してから、鍵のついた棚を開けた。
俺の名前が書かれた袋を出し、その中から書類を何枚か取り出す。
「あった!」
ヴァルグレン契約代行社。
その下に数字が並んでいる。
たぶんこれだ。
俺が指すと、ニルスが管理者へ何か伝えた。
管理者は書類を見て、机の端に置かれた電話へ手を伸ばした。
黒い受話器。
本当に電話だ。
何か操作して、カルヴェン語で短く話す。
また数字を回す。
俺は横で待った。
しばらくして、管理者が受話器を俺に差し出した。
耳へ当てる。
呼び出し音が鳴った。
一回。
二回。
三回。
『はい、ヴァルグレン契約代行社ですにゃ♡』
「ヴァル!」
『……佐藤さんですかにゃ?』
「俺!」
『分かってますにゃ』
繋がった。
普通に繋がった。
「帰りの便、変えたい!」
『急ですにゃ〜』
「大魔術師に会えるんだよ!」
一瞬、向こうが黙った。
『そうですかにゃ』
反応薄いな!?
「紅眼の大魔術師っていう、すごい奴がこの近くにいるらしいんだよ。会いに行きたい!」
『事情は分かりましたにゃ。帰国日を遅らせるということですかにゃ?』
「そう!」
紙をめくる音がした。
少し待つ。
『今予約している帰りの便は、キャンセルしても料金は戻りませんにゃ。それでも変更しますかにゃ?』
「大丈夫!」
即答した。
大魔術師だぞ。
多少のことは仕方ない。
『本当にいいんですかにゃ?』
「いい!」
また紙の音。
『今からですと、本来の帰国予定日から一週間後くらいの便しか空いてませんにゃ〜♡』
「一週間後!?」
思ったより延びる。
でも、帰れないわけじゃない。
その間に会えばいい。
「それで!」
『では、そちらで手配しますにゃ。新しい帰りのチケットは宿舎へ送りますにゃ♡』
「頼む!」
『受け取ったら日付を確認してくださいにゃ』
「分かった!」
『それでは、残りのお仕事も頑張ってくださいにゃ〜♡』
「言われなくてもやるよ!」
電話が切れた。
受話器を戻す。
「よし!」
ニルスが俺を見る。
「できた?」
「できた! 一週間延びた!」
「オー!」
これで帰国日はずれた。
大魔術師に会える。
俺は一気に機嫌がよくなった。
管理者が俺の契約書を袋へ戻し、また棚へしまった。
俺はそれを見ながら、もう頭の中では大魔術師のことしか考えていなかった。
◇
もちろん、仕事は終わっていない。
翌日も貝を運んだ。
その次も運んだ。
寒い。
臭い。
重い。
でも最後まで、何も俺を食おうとはしなかった。
毎日尻の穴は見られた。
そこだけは最後まで慣れなかった。
「今日で終わり!」
最終日の検査を抜けた俺は、服を着ながら心の底から喜んだ。
働いて、疲れて、無傷で終わった。
普通の仕事って素晴らしい。
盗難がないことを確認され、預けていた私物も戻ってきた。
その中に、俺宛ての新しいチケットも入っていた。
見ても日付が読めない。
カルヴェン語だからだ。
「ニルス、これ」
「ウン?」
「いつ?」
ニルスが紙を見て、指で日を数えた。
「ココ。今日から……一週間くらい」
「ほんとに一週間後だ」
ヴァルの言った通りだった。
帰るまで時間はある。
「じゃあ行けるな!」
「行くヨ!」
ニルスは嬉しそうに笑った。
◇
翌朝。
俺は荷物を持って、ニルスについて宿舎を出た。
久しぶりに、仕事場と宿舎以外の場所へ自由に行ける。
「タックミさん、ちょっと待ってネ〜。私、お使いあるヨ!」
「お使い?」
「ウン!」
ニルスについて歩いていくと、通りの両側に真珠を扱う店が増えてきた。
店先のガラス越しに、白く光る真珠が並んでいる。
でかい。
俺が仕事中に見たやつより、明らかに大きいものもある。
「へえ……ちゃんと商品になるとこんな感じなんだな」
なんとなく眺めながら歩く。
その中に、小さい真珠が並んでいる店があった。
「あ、小粒だな〜。俺たちが作業した時と同じくらいだー」
死んだ貝を回収していた時、たまに見つかったやつと同じくらいに見える。
「なぁ、ニルス〜」
「ウン?」
「あれってセグルだといくらくらい?」
俺はまだ、この国のお金を見ても高いのか安いのかよく分からない。
ニルスは少し考えた。
「ウーーーン……大体、十五万タサルくらいネ!」
「高!」
小粒で十五万タサル!?
真珠ってそんな高いのかよ。
俺が驚いている横で、ニルスはその店を通り過ぎた。
「え、買わないの?」
「こっちヨ!」
大通りを外れて、細い道へ入っていく。
さっきまでの店よりずっと小さい店が並んでいた。
そのうちの一軒の前で、ニルスが止まる。
店先には小粒の真珠がたくさん並んでいた。
大通りのものより形も大きさも少しばらばらだ。
ニルスが嬉しそうに指さした。
「こっちなら一個、獣人国のお金で五万タサルくらいヨ! 安いネ! 先生これ欲しい!」
「五万タサルでも高えよ!」
いや。
さっき十五万タサルだったから、三分の一ではあるけど。
「ていうか、なんでこっちはそんな安いの?」
「これ、規格外ネ」
「規格外?」
「小さい。あと、最後まで養殖場で管理ないヨ」
ニルスが真珠を摘まむ真似をする。
「いつ貝死んだかとか、ちゃんと分からない。魔法の時間、大体になるヨ」
「あー」
分かった。
俺たちが回収していた死骸の貝から見つかるようなやつか。
ちゃんと育てて、最後まで管理して取り出した真珠じゃない。
だから経歴が途中から曖昧になるらしい。
「あと、お尻入れる人いるデショ?」
「…………あ」
いたな。
だから毎日、俺まで尻の穴を確認されてたんだった。
「お金持ち嫌がるヨ!」
「そりゃ嫌だわ」
洗ってあるんだろうけど。
高い金を出して買うなら、わざわざ誰かの尻に入っていたかもしれない真珠を選びたくはない。
ニルスは全然気にしていないらしい。
「ここ、先生いつも買うヨ!」
「いつも?」
「ウン! 私も何回かお使い来た!」
「へえ……」
ニルスは店の人へ何か話しかけた。
「先生、これ百個買うヨ!」
「百個!?」
「ウン! 私、ここ仕事来るって言ったら、先生、安いのあったら百個買ってきてって。お金もらってるヨ!」
「……大魔術師って金持ってんだな……」
店の人が奥から小さな箱を持ってきた。
ニルスは中を確認して、預かっていたらしい札束を次々と鞄から取り出して渡す。
そして、店主から受け取った箱を大事そうに鞄へしまった。
「オッケー! 行くヨ!」
「お、おう」
誰だよ、その先生。
真珠を百個まとめて買わせる奴って。
俺はまだ見ぬ大魔術師への期待を、少しだけ膨らませた。
海沿いの道を歩き、乗り合いの馬車へ乗った。
ニルスが行き先を告げる。
俺には何を言っているのか分からない。
「地元、近いんだよな?」
「近いヨ!」
その言葉だけを信じることにした。
馬車に揺られた。
降りた。
また別の乗り物に乗った。
途中でニルスが何か買って食べ、俺がこの国のお金を持ってないと言うとニルスは俺にも同じものを奢ってくれた。
景色が少しずつ変わっていく。
海が見えなくなったかと思えば、また遠くに見えた。
俺がどっちへ向かっているのかは、もう分からない。
「ほんとに大魔術師いるんだろうな?」
「イルヨ!」
「すげえ魔法使える?」
「スゴイ!」
「一人ででかい魔法とか?」
「スゴイ!」
何を聞いてもスゴイしか返ってこない。
まあいい。
紅眼の大魔術師。
名前からして強そうだ。
魔法使いらしい魔法使いに、ようやく会えるかもしれない。
この世界に来てから、俺が想像していた異世界らしいものはだいたい危険だった。
竜。
人食い鳥。
北方人の決闘。
今度こそ、普通に格好いいものが見たい。
やがてニルスが馬車を降りた。
俺も続く。
しばらく歩くと、家がまばらになっていった。
「こっち?」
「ウン」
さらに進む。
そして、ニルスが一軒の家を指した。
「ココ!」
「……ここ?」
思っていたのと違う。
大魔術師の家と言われて、俺は勝手にでかい屋敷を想像していた。
目の前にあるのは、小さな一戸建てだった。
しかも周りが枯れ草だらけだ。
茶色く枯れた細長い茎が、家を囲むみたいにびっしり立っている。
畑なのか。
庭なのか。
よく分からない。
「大魔術師ここに住んでんの?」
「ウン!」
ニルスは迷いなく敷地へ入っていく。
俺も後ろをついていった。
玄関まで来る。
ニルスが戸を叩いた。
そして、沿岸語で大声を出した。
「――タナカ――! ――! タナカ――!」
何を言っているのかは分からない。
でも、一つだけ確か聞き取れた。
タナカ。
「え!? タナカ!?」
「ウン。タナカ先生!」
返事はない。
ニルスがもう一度戸を叩く。
少し待った。
家の中で、何かが動く音がした。
戸が、ゆっくり開く。
その瞬間、甘い煙の匂いがぶわっと外へ流れてきた。
暗い室内から、真っ赤に充血した目がこちらを見た。
……本当に紅眼だ。
