俺は、もっと格好のつく死に方をする予定だった。
通り魔から子供を庇うとか、燃え盛る建物から誰かを助けるとか。少なくとも、物語の主人公として紹介できる程度の死に方だ。
現実は、三日連続で残業した帰り道だった。
コンビニ弁当の袋をぶら下げ、半分眠りながら横断歩道へ踏み出したところで、クラクションが鳴った。
振り向く。
視界いっぱいに、大型トラック。
その瞬間に考えたことは、
「あ、弁当食ってねえ」
だった。
◇
「お前、死んだで」
「知ってる」
目を開けると、何もない真っ白な場所にいた。
目の前には事務机が一つ。その向こうに、やたらと顔の整った女が座っている。
腰まで届く銀色の髪に、白い服。背中には淡く光る輪まで浮かんでいた。
どう見ても女神だった。
「説明が早くて助かるわ。お前みたいな死に方した奴、大抵しばらく『ここはどこだ』『俺は助かるのか』って騒ぐからな」
「死んだのは分かってる。それより、ここってあれだろ?」
「あれ?」
「異世界転生の手続き場所」
女神は机の上の書類から顔を上げ、わずかに眉を寄せた。
「……なんで分かった?」
「トラックに轢かれて、白い空間で、女神が出てきた。これで異世界転生じゃなかったら何なんだよ」
「近頃の死者、妙に話が早いんだよなあ」
女神はぼやきながら書類をめくった。
「まあええわ。お前の次の行き先は、魔法が一応存在する世界や。文明水準には地域差があるけど、おおむね――」
「チート魔法使いにしてくれ!」
「そんなんないで」
即答だった。
「まだ何も言ってないだろ! 無限の魔力で全属性を操って――」
「無限の魔力なんかない」
「じゃあ、触れただけで魔法を覚える能力!」
「ない」
「アイテムボックス!」
「空間収納魔法がない」
「鑑定!」
「専門家に聞け」
「自動回復!」
「医者に行け」
「ステータス画面!」
「健康診断でも受けてこい」
「異世界転生者に厳しすぎない!?」
女神は面倒そうに頬杖をついた。
「勘違いしてるみたいやけど、その世界の魔法は、お前が想像してるような便利なもんと違うぞ。長く身につけた物なんかに蓄積した力を、別の現象へ変換する技術や。何もないところから火や水を無限に出したりはできん」
「じゃあ、百年使った剣から巨大な火球を撃つとか?」
「剣が消えてもいいなら、似たようなことはできるかもしれんな」
「消えるの!?」
「使えば減るに決まってるやろ。資源やぞ」
「燃費悪すぎるだろ、その魔法!」
「だから最初から、魔法は一応存在するって言ったやろが」
剣と魔法の世界と聞いて期待したのに、話が違う。
古い剣を消費して一発限りの魔法を撃つくらいなら、普通にその剣で殴った方がいいのではないだろうか。
「じゃあ、剣術の才能は? 一度見た技を全部覚えられるとか」
「身体能力と経験の問題やな。多少は器用にできるけど、達人になるには練習せえ」
「女神の力で経験ごと入れろよ」
「他人が何十年も積み重ねた人生を、無料のおまけみたいに要求すんな」
「ケチ!」
「一回轢かれただけで神に何でも貰えると思ってる方がおかしいんじゃ!」
光の輪が怒りに合わせて明滅している。神々しさはあるのに、言動が近所のお姉ちゃんみたいだった。
「そもそも俺、現実世界じゃ何も持ってなかったんだぞ!」
「一応、大学は出てるやろ」
「名前を書けば入れるようなFランだよ! 顔も普通、勉強も運動も普通、就職してもやる気がないから仕事が終わらなくて残業続き! それで疲れて、うっかりトラックに轢かれたんだぞ!」
「途中から完全にお前の責任やないか」
「せめて次の世界では夢を見させてくれよ!」
「そもそもだよ。魔法の世界って言うなら、もっとこう、全員が幸せで、努力すれば報われて、平等で――」
その瞬間だった。
女神が机を叩いた。
バンッ、と乾いた音が白い空間に響く。
「はぁ?」
空気が変わった。
さっきまでの気だるさが消え、女神の目が一気に冷たくなる。
「私様が作った全ての生き物が平等でパラダイスみたいな世界を否定してんのか!? あ!? 」
「え、いや、そういう意味じゃ――」
「じゃあ何やねん。お前が元いた世界じゃ、老いることに何の価値があった?」
「何って……身体が弱って、働けなくなって……」
「最後は周りから邪魔者扱いやろが。魔法を使える可能性だって、生まれた時から全員ゼロやったんやろ?」
女神は椅子の背にもたれ、どこからか煙草を取り出した。
火をつける。
白い空間に、妙に現実的な煙が漂った。
「私様の世界じゃ、生きて時間を重ねたこと自体が力になる。年老いた身体も、長く使った道具も、古くなるほど価値を持つ。動物も草木も、生きている限り魔法へ届く可能性がある。才能ある一握りにだけ、特別な力を配ったわけでもない」
「でも、俺が想像してた魔法よりずいぶんしょぼいし――」
「使える可能性を全員に平等に与えてやったのに、お前一人だけ無限に使わせろって言うてたやろが! どの口で平等とか抜かしとんねん!」
「それとこれとは別だろ!」
「別ちゃうわ! 老いるだけで価値が積もる。生きているだけで魔法の可能性が育つ。お前が元いた世界より、よっぽどパラダイスやろが! その先の幸福まで一人ずつ私様に配給させる気か!?」
「いや、でも神様なんだからさ――」
「神様やから全員の人生を最後まで面倒見ろとか、甘えすぎや!私様はお前のオカンちゃうねん!自分の幸せくらい自分で追いかけろ!」
煙を吐きながら、女神はさらに机に足を乗せた。
完全に態度が悪い。
「で? チート魔法? 無限魔力? 全部ない言うたやろ」
ものすごく気まずい沈黙の中、俺は考えた。
存在しない能力を要求しても仕方がない。女神が世界の仕組みそのものを変えられないなら、もっと現実的で、なおかつ人生を有利にしてくれるものを頼むべきだ。
前の人生で足りなかったもの。
顔と、体力だ。
「じゃあ、イケメンにしてくれ」
「……顔?」
「そうだ。誰が見てもイケメンだと分かる顔。現実世界じゃフツメンだったから、全然モテなかったんだよ」
「顔だけでモテなかったわけではないと思うが」
「うるさい。それと、身体を丈夫にしてくれ。病気になりにくくて、多少の無茶なら平気な身体。残業くらいで注意力が落ちて、また馬車に轢かれたら笑えないからな」
「不死身にはできんぞ」
「普通の人間の範囲でいい。骨が丈夫で、体力があって、健康ならそれでいい」
女神は、しばらく俺の顔を見つめた。
「……本当に、顔と丈夫さだけでいいのか?」
「ああ。それさえあれば、あとは俺が何とかする」
「そうか……」
なぜか女神の顔に、深い憐れみが浮かんだ。
「可哀想に……」
「なんで今、可哀想って言った?」
「いや。本人が幸せなら、それでええ」
「待て。何か知ってるだろ」
「若い人間男性としてはかなり整った顔と、健康で丈夫な身体に調整する。どっちも人間の限界を超えん範囲やけどな」
「十分だ!」
「あと……あまりにも可哀想やから、最初に落とす地域で使われてる南方語も入れといたるわ。日常会話と読み書きまで」
「言葉まで? やっぱり女神様、気が利くな!」
「書類も読めるようになるから、ちゃんと読めよ」
「分かった分かった」
「ほんまに分かってるか?」
「大丈夫だって。イケメンで健康で言葉まで通じるなら、異世界でも余裕だろ!」
女神は何か言いたげに口を開き、結局、諦めたように閉じた。
「ほな、達者でな」
「おう。次に会う時は、英雄になってるかもな!」
「もう会わんことを祈るわ」
女神が指を鳴らす。
足元が消えた。
「ちょ、せめてどんな国か説明してから――」
最後まで言い終える前に、俺は白い空間から落下した。
◇
次に目を開けた時、俺は石畳の上に倒れていた。
左右を高い煉瓦造りの建物に挟まれた、薄暗い路地だった。頭上には細長く切り取られた青空が見える。
手には何か細かい字がびっしり書かれていた紙が握りしめられていたが、邪魔だったので捨てた。無意識でごみを掴んでしまったんだろう。
身体を起こして、まず手足を確かめた。
痛みはない。
むしろ、これまでにないほど身体が軽い。睡眠不足も肩凝りも、毎朝感じていた腰の重さも消えている。
拳を握れば、腕にしっかり力が入った。
「おお……本当に健康だ」
近くにあった水桶を覗き込む。
水面に、知らない男の顔が映った。
形のいい眉。すっきり通った鼻筋。以前より一回り大きな目。輪郭も整い、寝起き同然なのに妙に様になっている。
街を歩けば、十人中九人は振り返る。
そんな確信が持てる顔だった。
「勝った」
思わず笑った。
魔法がしょっぱかろうが、特殊能力がなかろうが関係ない。この顔と身体があれば、仕事でも恋愛でも、前の人生よりはるかにうまくやれる。
女神はなぜか憐れんでいたが、選択は間違っていなかった。
問題は、今の俺が薄い白布一枚を身体へ巻きつけただけの、ほとんど不審者だということだった。
路地から大通りへ出る。
見たこともない意匠の服を着た人々が行き交い、荷車を引く大きな爬虫類が石畳をゆっくり進んでいた。遠くには尖塔を持つ巨大な建物がそびえている。
軒先の看板には、見知らぬ文字が並んでいた。
だが、見れば意味が分かる。
『南部中央市場』
『公衆浴場・朝鐘から夕鐘まで』
『長期着用品・毛髪・天然歯、高価買取』
最後の看板だけ妙に物騒だったが、本当に読めた。
「女神様、いい仕事するじゃん」
言葉が分かるなら、何とかなる。
そう思って市場へ入ったものの、当然ながら俺は金を持っていなかった。
焼いた肉、香辛料の効いたスープ、山盛りの果物。空腹を刺激する匂いが四方から漂ってくる。
腹が鳴った。
店主がこちらを見る。
俺は何も買わず、そっと屋台から離れた。
「まず仕事か……」
だが、ここがどこの国なのかも、仕事をどう探すのかも分からない。道行く人へ尋ねようにも、布一枚の男へ親切にしてくれる者がいるだろうか。
市場の隅で立ち尽くしていると、背後から声をかけられた。
「失礼。何かお困りでしょうか?」
振り向くと、柔らかそうな上着を着た中年の男が立っていた。
穏やかな顔に、よく手入れされた口髭。胸元には、開いた両手を図案化した銀色の徽章を付けている。
「まあ、ちょっと……旅の途中で、荷物を全部なくして」
異世界から来ました、と正直に言う勇気はなかった。
「それは災難でしたね。身分証明書は?」
「それも荷物と一緒に」
「宿泊先はありますか?」
「ない」
「頼れる方は?」
「いない」
男は痛ましそうに眉を下げた。
「でしたら、私どもの生活支援制度をご利用ください。衣類、食事、宿泊場所、身元登録から就職先の紹介まで、まとめてお手伝いできます」
「そんな制度があるのか?」
「ええ。見知らぬ土地で困窮した方を放置するわけにはいきませんから」
異世界にも福祉はあるらしい。
俺が何度も礼を言うと、男は「お互いさまですよ」と笑った。
◇
案内されたのは、市場から二本離れた通りにある小さな商会だった。
『メルク生活支援商会』
看板の下には、先ほどの男が付けていたものと同じ、開いた両手の徽章が描かれている。
中へ入ると、受付の女が書類を六枚出してきた。
「こちらへ署名をお願いします」
文字は読めた。
ただし、びっしりと細かい字が並んでいる。
現実世界でも、アプリの利用規約を最初から最後まで読んだことなどない。困っている人間を助ける制度だと言っているのだから、危険なことは書いていないだろう。
「内容のご確認は?」
「大丈夫です」
俺は一枚目を軽く眺めただけで、最後の署名欄へ名前を書いた。
そのあと簡単な身体検査を受けた。
身長と体重を測られ、腕や脚に怪我がないか調べられる。なぜか口を開けるように言われ、歯を一本ずつ確認されたが、就職前の健康診断みたいなものだと思った。
「すべて天然歯ですね。欠損も虫歯もない」
検査を担当した男が、感心したように言った。
「丈夫なのが取り柄なんで」
「それは素晴らしい」
与えられた服は、少しくたびれていたが清潔だった。
食事は薄い豆のスープと硬いパン。それでも死んでから何も食べていなかった俺には、十分うまかった。
寝床は商会裏の宿泊棟にある大部屋だった。狭い寝台が六つ並び、窓も小さい。それでも雨風は防げるし、毛布もある。
何より、明日から身元登録と仕事探しを始めてくれるという。
親切な人に拾われた。
俺は心の底から安心して、その日は泥のように眠った。
◇
翌朝、受付へ呼ばれた。
昨日の中年男が、机の向こうで変わらぬ笑顔を浮かべている。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ああ。助かったよ。本当にありがとう」
「それは何よりです。では、現時点までのご利用額をご確認ください」
「現時点で、140万タロンとなります」
「……何?」
「昨日お受けになった支援の代金です」
一枚の紙が差し出された。
そこには、衣類費、緊急食糧費、特別宿泊費、身体検査費、身元保証準備費、外国人信用加算――見覚えのない項目と数字がずらりと並んでいた。
「……何だよ、この金額」
「昨日お受けになった支援の代金です」
「支援って、金を取るのか!?」
「もちろんです。契約書にも記載しております」
男は六枚の書類を取り出し、二枚目を指差した。
赤い文字で、支援はすべて有償であること。即時に支払えない場合は利息が加算されること。債務不履行時には、身体に蓄積された資源による代物弁済へ同意することが書かれていた。
読める。
はっきりと読める。
俺自身の署名も、その下にある。
「140万タロンって、どれくらいの金額なんだ?」
「南方で無技能の住み込み労働をなさる場合、二年少々で得られる収入に相当します」
「二年!?」
「食費や宿泊費を差し引けば、返済にはもう少しかかるでしょう」
「昨日のボロ服と薄いスープで!?」
「契約書へ記載しております」
「払えない場合は――」
男は穏やかに微笑んだ。
「まず天然歯から回収させていただきます」
「……歯?」